ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』読み解き支援キット 池澤夏樹 監修 https://www.shinchosha.co.jp/special/205212/
鳴り物入りで(?)ついに本日発売日を迎えたガルシア=マルケス『百年の孤独』文庫版ですが、こんな「読み解き支援キット」なるページがあるんですね。個人編集による世界文学全集で──というか、声ヲタ的には池澤春菜嬢の父親として──知られる池澤夏樹氏監修とのこと。さて……
当方は普段から懇意にしている知人が勤めている書店で無事お救いできましたが、新潮社の方針からか配本が絞られまくったそうで──この店に限らず、そういう書店が割とあるらしい──実際当方が救ってまもなく完売しましたから、今回の文庫化は確かに事件とされるにふさわしいのでした
「和歌山フェイクアワード―考古学におけるフェイクの世界―」展|2024.7.13〜9.8|和歌山県立紀伊風土記の丘 https://www.kiifudoki.wakayama-c.ed.jp/tenji/kikaku_tokubetu/index.html
骨董的価値を追求して作成されたフェイク(贋作)や見学者の理解促進のために作成されたフェイク(レプリカ)の展示を通じ、特徴や製作背景を紹介しますだそうで、つまりは贋作やレプリカ、(祭祀の際の)代替物といったホンモノじゃないもの全般を対象にする展示なのですが(で、会期末に来館者の投票で一位(一位?)を選ぶという)、それらを総称するにフェイクという言葉を使うのには若干ゃもにょるところがあるのも事実ではありまして 20年ほど前だったらシミュラークルと称してたはずですよ…… ──という半畳を入れたくなるところもありますが、各種フェイクが必要とされた背景にも注意が向くような展示であってほしいですね。
ギャラリー白3では、その中島麦氏の父親である中島一平(1948〜)氏の個展が
開催中(〜6.29)でして、期せずして(?)同じビル内で父子対決状態となっています。既に半世紀近い画業を誇る中島一平氏、毎年この時期に個展をギャラリー白3で開催していますが、今年も小さめの油画が十数点出展されていました。
中島一平氏の絵画実践について包括的に語ることは当方の能力をはるかに超えているのでアレですが、少なくとも直近の仕事においては「窓」がキーワードとなっていること、絵画は窓によって絵画空間の内外が構造的に決定されるところから描かれることが、ここで問題となってくる。画像を見れば直観できるように、中島一平氏の作品はゲルハルト・リヒター(1932〜)の《抽象絵画》シリーズの一部分を超拡大させたように見えるし、実際、マティス→リヒター(→シュナーベル)というライン上に自身の抽象画を置いていることが、ポートフォリオに挟まれていた90年代に書かれたテクストからも見えてくる──
「世界は私の外にある」と言ったのはJ.シュナーベルか。しかしここで言う外部の意識とは、(略)その絵画とその外部との関係の意識をさす。作品の外部とは文字通り、その作品と別の作品との関係であり、その空間であり、さらにこの現実社会全般である。(略)リヒターの絵画が示した地平とは、まさにこの世界との対比性を明確に意識し、なおかつ絵画に留まっているところにある。──このテクストを読むと、中島一平氏におけるかかる画風はかなりの程度意識的に選択されたものであることが一見即解なのですが、しかし窓という要素を自身の絵画の構造化に必須の要素として措定/反-措定することで、西洋における近世ー近代絵画の良質な部分を抽象化して再演しようとしていることは十分に伝わり、空間や色彩といった要素をめぐって中島一平氏と中島麦氏はなかなかに鋭い対照をなしていることも敷衍できるわけで、同じビル内で続けて見ることの意義はきわめて大きいと言わなければならないでしょう。 [参照]
(中島一平「絵画の「脱構造と外部」」(1996)より)
ところで中島氏の近作について考える際に
シルバーが多用されていることに注目することは、氏の絵画的実践のクリティカル・ポイントを探求する上で、きわめて重要であると考えられます。中島氏が以前語っていたのは、近作におけるシルバーは単なる銀色ではないということでした。つまりシルバーは(他の色と並列される)色価としての銀色ではない独自の位相にあるというわけですね。以前から関西でも屈指のカラリストとして知られてきた中島氏ですが、その色彩の探究の途上でかかるシルバーを発見したことは、氏の画業を考える上でひとつの画期をなしていると言えるかもしれません──さまざまに等価な色彩が無限に広がっていくというカラリストのヴィジョンに、明確に違う位相に属する異物が差し挟まれることで、そのヴィジョン全体を異化し新たな段階に突入したことになるのですから。
前近代、ことに江戸時代の日本の絵画において金箔・銀箔が多用されてきたことは今さら改めて確認し直すまでもないでしょう。しかしこの金箔・銀箔の絵画空間内でのありようは、今日の私たちの空間認識とはまったく異なるものとしてある。金箔・銀箔は、少なくとも日本においては、遠近法によって統整された空間とは別種の記号的な空間を指し示す「お約束」として機能していたらしい。だから酒井抱一(1761〜1828)が《夏秋草図屏風》(1822頃)において、この銀箔の空間上に風に吹かれて飛んでいく葉っぱを描き加えたことから日本における近代絵画が始まったとする横田忠司(1945〜99)の所説が異常な説得力を持つことになるわけですが──横田の所説において、絵画空間=現実の空間という擬制が成立したときに近代絵画が始まるとされるのですが、抱一の描いた葉っぱは、その擬制の存在を告知しているからです。
寄り道が過ぎましたが、中島氏におけるシルバーは、カラリズムの色彩空間に対する決定的な異物として導入されたことで、近代絵画における遠近法的空間に対する異物としても導入されたと見ることができるわけで、それは日本の絵画(≠日本画)における金箔・銀箔の持っていた「お約束」の一端を現在に導入していると言えるかもしれない。今後シルバーの異物感を強めていくのか、あるいは逆に手懐けて画面の中に馴染ませていくのかは予断を許しませんが、少なくとも一度は絵画の中にクリティカル・ポイントを中島氏自身で設定したわけで、そのことの意義は何度でも強調されるべきでしょう。
ギャラリー白kuroで開催中の中島麦「DIVING」展。
関西を中心に個展、グループ展、ワークショップetcと精力的に活動している中島麦(1978〜)氏、今年に入ってからもKEN FINE ART(大阪市中央区)で個展を開催し、つい最近も髙島屋大阪店1F特設スペースで公開制作を行なっていたものですが、このギャラリー白kuroでの個展は5年ぶりとなります。
近年の中島氏は様々なサイズのパネルによって作られた構造体の上部から絵の具を垂れ流し、解体してパネルごとに絵画として展示するという形で制作することが多くなっているようで、先述した髙島屋での公開制作では解体する前の構造体のままでも展示されていました。で、今回も同様の手法で制作された大小十数点が出展されていた、という按配。様々な色調のイエローとシルバーによって、意図的な部分と偶然できた部分とがない交ぜになったように構成(構成?)されていたわけですが、これらの絵画は単に同じ色だからという以上に、上述したようなひとつのプロセスないし流動性によって同時に作られたものであることにも由来する共通性も存在するわけですから、ギャラリー内の空間に足を踏み入れると統一感のある引き締まった空間に身を浸すことになり、なかなか得難い経験となったのでした。29日まで。
art stage OSAKA 2024|2024.9.21〜23|グランキューブ大阪(大阪国際会議場) https://www.artstageosaka.com/
そう言えば今年もあるんかなぁと思って調べてたら、既に詳細な情報が解禁されてました。今年は「World Art Osaka - 映像がつなぐ」だそうで。一昨年の第1回はよくあるアートフェア、昨年の第2回は複数のディレクターによるいくつかのグループ展祭りとなっていましたが、今年は映像作品祭りとなるとのこと。開催形式が一定しない不安定感はともかく、各国からの映像作品を同時多発的に見せるというのは、昔のPARASOPHIAを髣髴とさせるところがあって、懐かしい ←←
東京国際版画ビエンナーレが開催されていた
この20年強の期間は、最初期は普通の銅版画・木版画etcが支配的だったのが、印刷技術の多様化と美術をめぐる思考の変容とが同時進行していった結果、紙に出力されるという一点において印刷と版画とグラフィックデザインは同一平面上に並置されつつしかし違うものでもあるというきわめて不安定なものとなり、かようなそれぞれのアイデンティティ・クライシスの結果ついにはビエンナーレ自体の終了に至ってしまう──といった具合に超乱暴に整理できるでしょう。当方は版画(史)については勉強不足なのでアレなのですが、そんな者的にも、とりわけ1970年代に入ってから制作された出展作品のクロスオーバー(クロスオーバー?)ぶりには見入ってしまうことしきり。高松次郎(1936〜98)のかの有名な「こ の 七 つ の 文 字」や「THESE THREE WORDS」が当時の最新技術だったコピー機によるものであることに最も顕著だったのですが、このほかにも若江漢字(1944〜)氏の四点組の作品《View 74-1-I〜IV》が、何かの部品の写真を次第に拡大コピーさせたものだったり、木村秀樹(1948〜)氏が自身の手と鉛筆の写真を1/1サイズで方眼紙に出力した《鉛筆》シリーズにも同様の傾向が見出されるのではないでしょうか。
これらの例は、いずれも印刷技術の進歩によって写真も版画に取り入れることが容易になったこと、モノと「モノのイメージ」とが〈概念〉を媒介として並列されるようになったことの副産物であると、現在の視点からは言えるかもしれません──この少し前に流行した〈もの派〉に対する次の一手をどう繰り出すかが、版画に限らない現代美術界隈に広く薄く共有されていたミッションだったことを想起すべきでしょう。してみると、いわゆる版画ブームというのは、単純に版画が現代美術界隈において存在感を持っていたことにとどまらず、版画が〈概念〉をめぐるコンセプチュアルな技芸の中心的なテクニックだったことも含めて再検証される必要がある。8月25日まで
京都国立近代美術館で開催中の「印刷/版画/グラフィックデザインの断層1957-1979」展。
1957年から1979年まで11回にわたって開催された東京国際版画ビエンナーレを現在の視点から再考してみるといった趣の展覧会。2023.12.19〜2024.3.3にかけて国立工芸館(金沢市)で開催されていたのがこちらに巡回してきました。
さておき今回は、その東京国際版画ビエンナーレで受賞した経験のある日本人作家の版画作品を中心に、各回の宣伝ポスターも交えた80点ほどの作品+資料という構成でした。実際のビエンナーレでは「国際」と銘打っていただけに、海外の作家も存在感を発揮していたのですが、今回は一点だけの出展にとどまり、あくまでも日本・現代・美術における、日本・現代・美術にとっての版画にフォーカスする姿勢が全面化していたと言えるでしょう。1960年代〜80年代なかばにかけて日本の現代美術界隈には版画ブームというべき時代があったとつとに言われ、それは今日からするとなかなか信じ難い話ではあるのですが、この展覧会では、その「ブーム」の内部において展開されていたコンセプチュアルな(超)展開を走査し可視化していくことが目指されていたわけですね。
印刷/版画/グラフィックデザインという領域は近接し重なり合いながらも決定的なズレのある、まるで〈断層〉のような関係性であり、その断層の意味を積極的にとらえ直して自在に接続したり、あるいはその差異を強調するようなさまざまな実践が展開されていきました。(フライヤーより)
田口和裕の「ChatGPTの使い方!」 第22回 AI検索「Perplexity」がかなり便利だったので紹介します|ASCII × AI https://ascii.jp/elem/000/004/192/4192351/
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おまけ。昨年惜しまれつつ(?)閉店した老松通りのうどん屋さんの跡地に6月24日から食堂バルがオープンするそうです。かつてのように大阪地裁の関係者で賑わうといいですね。しかしそれにしても老松餃子とは? #解せぬ
大阪の下町歓楽街にナイチンゲール・岡本太郎が出現ーー『淀壁』発起人BAKIBAKIが狙う「十三周辺を壁画アートの聖地に」 | SPICE - エンタメ特化型情報... https://spice.eplus.jp/articles/329254
阪急十三駅周辺で近年展開されている壁画プロジェクト「淀壁」仕掛け人のBAKIBAKI氏へのインタビュー記事。日付を見ると二週間ほど前の記事ですが、例によってさっき見つけた(爆)。
この手の壁画のことを最近はミューラルアートというらしいですが、あちこちで街の景観と齟齬を来たして問題になっている事例もあり、ミューラルだかニューラルだかニュートラルだかニュートラムだか知らんが…… 状態になっているのも事実ではあり。そんな中、この十三の事例は、もともと十三界隈が良くも悪くもナンデモアリな空気感であることに加え、地元民との丁寧な合意形成を優先している様子なので、割とスムーズに進行しているという。
あと、最初に描いたのがナイチンゲールの壁画というのも大きそう──コロナ禍の中での医療関係者への感謝という文脈を挟むことに成功したわけですから。BAKIBAKIという名前の割に芸が細かい(驚)
好事家、インディペンデント鑑賞者。オプリもあるよ♪