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・竹内栖鳳 破壊と創成のエネルギー

・特集:Tardiologyへの道程(←野村仁、堀内正和、辻晉堂が出展されるっぽい)

・「MUCA展 ICONS of Urban Art~バンクシーからカウズまで~」

──この時期、京都市京セラ美術館では上記の展覧会が予定されてますが(実際はここに各種老舗団体展も加わりまして)。これを見ると、だってこんなモダンクラシックからシン・現代美術、海外の美術館展までラインナップされている中で、30代の画家が個展を開催するって、何らかのゲタが履かれていると考えるのがむしろ自然でしょうょ :blobcatnervous2:

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井田幸昌「パンタ・レイ──世界が存在する限り」展|2023.9.30〜12.3|京都市京セラ美術館

そう言えば先日フライヤーを拾ってました。来月以降の京都市京セラ美術館の展覧会ラインナップの中でひとり異彩を放ちまくってた井田幸昌(1990〜)氏、美術館前や地下鉄東山駅内にある同美術館の年間予定表を見るたびに、これ誰やねんと思うことしきりだったんですが、なるほどこういう絵を描く御仁か…… となったわけでして :blobcatnervous2:  キュレーターにジェローム・サンス(Jérôme Sans)を迎えているとのこと。さて……

「わたくし」は蓮實重彦、「わし」は小林よしのり、「ワイ」は清原とダルビッシュ、「我」は松田颯水(声優)と、一人称と特定の個人が紐づけられてしまっている事象は絶えませんね :blobcatnervous2:
QT: calckey.jp/notes/9k1wtugtcivnc
[参照]

🐶佐原​:calckey:​🦴  
@moriteppei@mastodon.social 😂 「わし」が小林よしのりみたいなの、わかってしまう……小林よしのりに人称いっこつぶされてるの不便ですね Iとか我(中国語)とかがいいです……
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長崎ではかつてキリスト教が禁じられた250年の間、 信者の方々が信仰を守り伝えました。その際、仏教のお寺がキリシタンの彼らをかくまった事実もあるそうです。しかし、「マリア観音」に見られるように、表象の垣根を超えて、観音様の姿のなかから真にマリア様を見出したのは、彼らキリシタンの方です。「その歴史と彼らの信仰に敬意を表し、今度は仏教側からその垣根を越えてゆきたい」というご住職の思いが起点となり、2018年から4年かけて共に構想をすすめてきました
https://www.instagram.com/p/CZa3aKaPFyV/?utm_source=ig_web_copy_link

この松平女史の自註においてはっきりと述べられているように、「マリア観音」はマリアと観音菩薩の単なる折衷ではなく、聖母マリアを観音菩薩の中に見出すという精神的なベクトルと、逆に観音菩薩の中に聖母マリアを見出すという精神的なベクトルという二重の運動によって具現化した存在である──仏教において、観音菩薩は(男性/女性のような)様々な対立を越えた存在として定義されることが多いと言われていることは、「マリア観音」について考える上でもきわめて重要でしょう。したがって、かかる二重の運動によって「聖母像、観音像に通底する原初の聖性」が見出され、それが絵として現働化しているのが、この《聖母子》であるわけです。こういった運動を視野に入れ(それは記述されているように、歴史的なものでもある)、聖母マリアと観音菩薩を同列に見出した隠れキリシタンたちの行為を仏教/キリスト教双方の信者目線で改めて主題化し、そこに信仰心を再-賦活しようという試みが天祐寺側にあったことは、ここで強調されるべきでしょう。《聖母子》はキリスト教と仏教に通底する原初の聖性というべきものに確実に届いている。

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「聖母子」絵像の開眼法要無事終わりました。
有り難いことに皆さん手を合わせお参りされてました。
不思議なもので本堂に安置し開眼しますと「作品」から「仏画」へと変わっていきます。
もちろん絵そのものの力もあるのですが。
見る人の心も重要、三界唯一心です。
https://x.com/daiyutetsujo/status/1705508840299762057?s=46&t=HVpKYwTPKrcFmeLhJHBABA

日本画家の松平莉奈(1989〜)女史作の《聖母子》が依頼主の天祐寺(長崎県諫早市)に運ばれ、昨日開眼法要が行なわれたとのこと。この《聖母子》、当方は昨年──大阪におけるカトリックの中心である──大阪カテドラル聖マリア大聖堂(大阪市中央区)で初お披露目された際に拝見したことがあり、聖母マリアが仏像のように描かれていることで、江戸時代に隠れキリシタンたちが信仰を守りつつバレないようにするために観音像に擬して作った「マリア観音」を彷彿とさせつつ、しかしその単なる模倣でも見立てでもない宗教的な問題系にまで届くものとして描かれていたわけで、これは(自身もキリスト教徒だという)松平女史のマスターピースになりうる作品であると感心したものです。かように開眼法要が行なわれたことで、ついに「「作品」から「仏画」へと変わっ」たわけで、ようやく安住の地を得たことになります。

(画像は、今年3月にKAHO GALLERY(京都市東山区)で開催された松平女史の個展に再展示された際に撮影)

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「日本画の前衛」展では上述の面々のほか、岩橋英遠や田口壮、丸木位里といった面々も歴程展の出展者として紹介されています。1938年から43年までというきわめてクリティカルな時期に活動していたこと、さらに戦後になって、一方ではパンリアル美術協会に参集して前衛をやり直し(re-volt / revolution)、他方丸木は妻の丸木俊とともに《原爆の図》を描いて戦後民主主義の桂冠画家というべき位置を占めることになること──これらも相まって、依然として断絶が強調されがちな戦前/戦後の近代美術について再考を相変わらず迫っていることは間違いないでしょう。「日本画の前衛」展は東日本大震災前に行なわれたのですが、震災を経た現在の観点から、これらの作品を見直すことが求められている。こちらは走泥社展終了後も続き、10月1日まで。

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特にここでは歴程美術協会の作品が重要。今回は山岡や山崎のほか、船田玉樹や八木虚平(のちの八木一夫である)らの作品が出ていました。歴程美術協会については、2010年に「日本画の前衛」展であらかた紹介されており、してみると今回は同展のダイジェストというかリターンマッチといった趣もあったわけですが、個人的には当時同展で接して呆然とした作品に、今回もやっぱり呆然としたのでした。例えば山崎の《戦地の印象》は、自身が出征した中国の情景を巨大な屏風画として描いたものですが、戦地感のまったくない茫洋とした大地の風景には圧倒されることしきり。あるいは同じく山崎の《歴史》は石仏でも掘られてそうな中国の岩山でナチがニュルンベルク党大会を開いたようなヴィジュアルという、今から見てもトンチキ度高い作品でして、逆に総力戦体制下における想像力/妄想力のありようを示すものとなっています(山崎にはほかに《神話》という、これまたトンチキパワーにあふれた作品がありますが、今回は未出展)。

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京都国立近代美術館。走泥社展を見た後、常設展フロアにもフラッと入りましたが、「歴程美術協会からパンリアル、そしてパンリアル美術協会へ」というコーナーがあってテンション爆上がり。

1938年、日中戦争のさなかに結成された歴程美術協会は、前衛志向の日本画家を中心に周辺分野も巻き込みつつも、戦争の激化にともなって1943年に諸団体と統合されて姿を消してしまいますが、その中心メンバーであった山崎隆(1916〜2004)が三上誠(1919〜72)や下村良之介(1923〜98)とともに戦後結成したのがパンリアルであり、さらに翌年パンリアル美術協会にリニューアルする(同協会は上記のメンバーが全員亡くなった後も2020年まで続いた)──という一連の流れを、山崎や歴程美術協会創設メンバーの山岡良文(1911〜70)の作品を軸に回顧していくというものでした。

https://www.momak.go.jp/Japanese/collectiongalleryarchive/2023/collectiongallery2023no02.html

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ところで陶芸に限らず工芸界隈では70年代前後から「素材との対話」というパワーワードが流通するようになり、現在においても依然として一定の影響力を持っていますが、明らかにクレメント・グリーンバーグが自身のモダニズムを言説化していく中で唱えていたmedium specificに由来してそうなこの言葉の流行が、他の分野においてはグリーンバーグ批判が流行していたさなかに唱えられ、大きな影響力を持っていったことに注目する必要があるでしょう。遅れてきたモダニズム? おそらくそうではない。「素材との対話」は、この展覧会がフィーチャーしている「前衛陶芸(の精神)」の否定を内に含み、それ自体反動的な所作として流行していったのではないか──走泥社同人たちの作品がときにクールに、ときにハチャメチャに自己表現している(特にそれは第三章の出展作に顕著であった)のを見ていて、ついそのようなことを考えるのでした。

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展覧会は三章に分かれており、第一章では(一般的な陶器としての用をまったくなさない)「オブジェ陶」の爆誕前夜〜直後の時期が、第二章ではオブジェ陶の爆誕によってドライブされた前衛陶芸が様々な人々によって自由に全面展開された時期が、第三章では1964年に開催された現代国際陶芸展(同展に出展された海外の陶芸作品も何点か展示されていました)によって日本の前衛陶芸の時代精神が決定的な転機を迎えたという仮説のもと、1973年あたりまでの時期が回顧されています。おもっくそ雑にまとめると、絵画や彫刻/立体といった他分野においては1950年前後から戦後独自の前衛が花開き、60年代に大きく飛躍するも70年代以降はいささか停滞気味になるものですが、それは前衛陶芸の分野でもそう変わらなかったわけですね。

それは走泥社が他分野の動向を横目に見ながら展開された運動であったことともかかわって、重大であろう。既述したように、ピカソやイサム・ノグチに(勝手に)インスパイアされ、同時期の四耕会や辻晉堂の制作活動に直接的に影響したりされたりしながら展開されていったのですが、そういった直接的な関係にとどまらない、時代精神的な共鳴関係をも(多少の妄想込みで)視野に入れていくことが、この展覧会に接する際には重要かもしれません。八木のオブジェ陶の第一作である《ザムザ氏の散歩》が制作された1954年に、芦屋において具体美術協会が結成されている、とか。そのような視野から見ることで、彼らの活動が狭義の陶芸にとどまらない問題意識の共有とスケールの大きさを、少なくとも第一章・第二章の時期には持っていたことが見えてくる。「前衛陶芸」とは、逆説的ですが、陶芸に内閉しない精神のありようのことだったのかもしれない。だからこそ現代国際陶芸展においてそのような前衛陶芸が知らず知らずに内閉していたことが暴露され、日本陶芸の敗北という言説すら飛び出すことになったのでしょう。

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【レビュー】「走泥社再考 前衛陶芸が生まれた時代」京都国立近代美術館で9月24日まで 岐阜県美術館などへ巡回 https://artexhibition.jp/topics/news/20230809-AEJ1518406/

京都国立近代美術館で明日まで開催の「走泥社再考 前衛陶芸が生まれた時代」展、当方も会期末に近い20日にようやく見てきました。八木一夫(1918〜79)や鈴木治(1926〜2001)らを中心メンバーとして1948年に結成され1998年まで続いた走泥社ですが、この展覧会ではその前半、結成から1973年あたりまでを振り返るものとなっています。「振り返る」といっても、単に当時の八木や鈴木たちの作品を並べて良しとしているわけではなく、同時期にやはり京都で活動していたもうひとつの前衛陶芸団体「四耕会」(1947〜56)同人の作品や、彫刻の側から前衛陶芸に近い作品を作り続けた辻晉堂(1910〜81)の作品、さらには八木たちに大きなカルチャーショックを与えたピカソやイサム・ノグチの陶作品も並べることで、「前衛陶芸」が可能になった時代精神をも視野に入れようとしていたと言えるでしょう。

混迷から新境地へ。巨匠ホックニーが喜びに満ちた作品に辿り着くまで。「デイヴィッド・ホックニー展」担当学芸員が徹底解説!【後編】 tokyoartbeat.com/articles/-/ho

後編がうpされてました。前編と合わせてあとで読む [参照]

木下佳通代(1939〜94)。長年のパートナーで、──もの派と同時期に神戸で活動していた──「グループ〈位〉」のメンバーとして知られた奥田善巳(1930〜2011)といっしょに神戸市内のギャラリーで展示されることが多いのですが、70年代における視覚とものの存在をめぐる諸問題について、ミニマルかつそう来たか〜と鑑賞者を唸らせにかかる作風の平面を多く制作していました。今回の回顧展も近年の女性美術家再評価の流れの一環なんでしょうけど、ついに見つかってしまいましたか〜という気分になるところ :ablobdundundun:

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大阪中之島美術館 2024年度開催展覧会のお知らせ nakka-art.jp/news/2024lineup/

来年度の大阪中之島美術館の予定が発表されており、まぁなんとも気が早いことで…… と思って覗きに行ったら、木下佳通代展が開催されるそうで、(全国的に見ても)来年度屈指のマニアックな企画展が唐突に爆誕してる件。2024.5.25〜8.18とのこと。これは何がどうなっても見に行かなければならない

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で、the three konohanaの方は長さ10mにもなる絵画と、草創期のインクジェットプリント(いわゆるネコプリント)による平面、さらに100号の絵画という構成でした。長さ10mの作品は、1970年代に入ってからの泉が多用したエアブラシによる絵画ですが、画面の下部に白く四角い点々が続くことでカメラのフィルムを彷彿とさせ、表面に描かれた色合いは日光に晒されてパーになった様子を見る側に連想させるものとなっている(画像参照)。1974年に京都で行なった個展での出展作の可能性があるとのことですが、記録がほとんどないため詳細不明、その後の出展歴もないそうで、今回約50年ぶりに日の目を見た格好。何よりも泉がかような作風を取っているのを見たことがなかった──1970年代(〜80年代前半)の泉がエアブラシを用いるときは、一般論として単純な◯や△、◻︎を描くことが多い──ので、驚くばかりでした。これ小泉茂or泉茂雄の作品なのでは? と思ったのは内緒だ←←

泉は数年ごとに作風を転変させ、絵画に対してさまざまなアプローチを仕掛けていったことで知られていますが、今回の出展作に関して言うと、Yoshimi Artsではある時期に集中的に手掛けていた作風の頂点となる(べき)作品が、the three konohanaでは(結局継続することはなかったものの)もうひとりの、ありえたかもしれない泉茂を見る側に予感させる作品が出展されていたことになるわけで、今回もまた彼の画業に対する解像度を爆上げさせるものとなっていたのでした。畏るべし。Yoshimi Artsでは10月1日まで。the three konohanaでは10月8日まで

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Yoshimi Artsとthe three konohanaで開催中の「泉茂 Newly Discovered Works」展。関西を中心に絵画制作や後進の育成に大きな足跡を残したことで知られる画家・版画家の泉茂(1922〜95)ですが、Yoshimi Artsとthe three konohanaは以前から協働して彼の再評価を企図した展覧会をほぼ隔年ペースで続けておりまして、今回はその第4弾となり、2013年にオープンしたthe three konohanaの10周年記念展とも位置づけられています。「Newly Discovered Works」というタイトルが如実に示しているように、近年新たに発見された中からチョイスされた絵画作品が両方のスペースにそれぞれ三点ずつ展示され、Yoshimi Artsではさらに──泉が長年教授を務めた──大阪芸術大学の博物館に所蔵されている制作ノートの一部も出展され、両スペースでの作品設置には泉の高弟で大阪芸大教授の中川佳宣(1964〜)氏が全面協力しているそうです。

さて、当方、Yoshimi Artsの方から先に見ましたが、近年新たに発見された作品というから、(没後30年近く経つし)小品や習作の類だろうなぁと思っていたら、200号の超大作二点と50号の大作一点だったので、普通に驚いてしまいました。200号のうち一点は1969年に毎日新聞社主催で開催された現代日本美術展の入選作とのこと。この直前まで泉はニューヨークやパリに滞在しており、雑に描いたストロークを拡大して精密に模写し直して描くという作風を確立していました。帰国直後はその模写されたストロークをもとに人力photoshop的に再加工して絵画を描くという作風に移行しており、今回の出展作はその出来の良さからも、そうした画風の集大成となる作品のひとつと位置づけることも、あながち不可能ではないでしょう。

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やけにアートマーケットに詳しい宮本武蔵(やけにアートマーケットに詳しい宮本武蔵?)「NFTアート、ブロックチェーン、Mint。結局のところ全部エディションナンバーのついてない版画や写真みたいなものでは…?」

スパマー「なんだァ? テメエ……」

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