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クラウドすごい面白かったけど、これを面白がってていいのか?とかも思った、2024年に!これですか!転売ヤーの話なのは実のないところから何かを無限増殖させている存在イメージだからだよね?例によって行動原理のかけらもない仕事も生活も雑描写ー!女の扱いー!しかしそれでいいのである、異界の話で、こう在るときめたらこう在るなので!という確信に満ちた語りでここまでいくと、もはや笑いにつながってくる。執拗なまでに出てくるはっきり顔を映さないショットとか、あと身体が遺体になる瞬間がいずれも「本気見せます」を感じて紛れもなく「映画」していて、そんなとこにも笑ってしまった。

一方で哀川翔ってすごかったんだなと思わずにいられない。今作の主要なキャラクターをひとりで全部やれるのが翔さんだったわけで…他におらんよなそんな人

いやまてよ。「初恋」が三池さんの縮小再生産どんとこい、ならこっちは拡大再生産というか無限繁殖型再生産というか、でどっちにも素晴らしい素晴らしい素晴らしい!と声をあげたくなるような窪田正孝が。ということは窪田正孝は最後のVシネ的なマインドを有するスター?いや実際そんな気がしてきたな(適当言ってます)

ぜひぜひー!設定からして怖いんですが、そこからの一筋縄でいかなさもすごいです!

オクテイヴィア・E・バトラー読まれてましたっけ?(ぎゃっとなるくらい面白かったやつというのでパッと思い浮かんだのがキンドレッドだった)

昔はそんなでもなかった人もフラストレーション募ってんなーが見受けられるの(スタンスとしてどんな立場の人もフツフツしている)そりゃまあ現実に社会が大問題渋滞しまくりというのもあるが、中年としては「若者期間が長い時代の中高年だからなー、体力と気力が落ちてるときはさらにしんどいもんですなー」くらいに受け止めておく。あんまりそのまんまに考えるとつらくなるし、そもそも私はどこかで楽観的なんだよな 多少マシになったことがこれだけあるんなら、世の中はいつかもっとマシにはなるじゃろ、そのために自分がやるべきことはやるよ、くらいの感覚

ホラー的なルック(音もかな)が多いのも予想外でよかった。良い話にまとまるわけでもなく、本当はひとりじゃないほうがいいよねーという方にいくこともないので安心してほしい。自分のためにひとりになるのって、防御と怒りのためのひとり体勢とは違うんよね

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昨日みた「おひとりさま族」がなかなかよかったんですよ。主人公のジナさんは常に画面を見続けてる人で、それが正面から撮られてるとこがとても多い。カード会社のテレオペの仕事ではPC画面を見ながら無の顔で電話対応し続ける。家ではすぐテレビつける(途中からある映像を見るのも日課に)。移動中も食事中もスマホ画面から目を離さない。このモニターに映るものってある種の「ゴースト」なんですよね、向こう側にいる限りは直接かかわってこない、その距離がちょうどいい人もいる。煙草の煙がモニターのかわりをすることもある。

やがて彼女の暮らしが本来の意味でのゴースト話につながっていく。ゴーストは見たいものを見てしまう/見たくないものだから見えてしまう、そんな存在。

人と関わることを頑なに避けてるので後輩(子犬みたいについてくるんだけど当然「無」になることを知らない子にできる仕事ではなく…)にもそっけない、でもそれはかかわると「無」じゃなくなっちゃうからなのよね…

無表情の遮断って「怒り」なんだろな、と思う。ほっといてくれないのに人間をひとりぼっちにする社会への。無になることを求めるのに、ひとりでいさせてはくれない世の中に、繋がらないことで怒りを表明しているようなジナさん。だからこそ終盤の「浄化」がとてもよかったな…

ポライトソサエティ見てきたんですが、密輸とよく似た印象の「面白いけどなんか私の見たいのとは違うんだよなー」を感じた。いろんな要素があるけど最終的にはワーキングタイトル色がいちばん強いと思う。こっちは90年代カルチャーから孫引きっぽい感じの70年代趣味。意外にボリな感じはしなかったので、引用って難しいわね。ともあれよく動く女子の話はどんどん出てきたらいいわね。

身体とか仕事とか家のこととかの細部がなんかいい!の連続でね。皿を片付けるときの「おたまも?」みたいな小さい台詞まで、なんかいいんですよ。シャワーを浴びるたるみや傷のある皮膚とか美容院できれいにしてもらうとこもよかったなあ

すぐ試すようなことをしてた娘が彼女を本当の意味で信頼し始めるとこの一連美しかったなー、ふたりでメニューをのぞきこむときの一言も声に出されることのない「こういいことがしてみたかった」が手に取るように伝わる笑いとか、あれは親子関係の模倣というよりもシスターフッドともいえるし、恋人たちのようにもみえるし、母娘がどちらかわからなくなってる感じ

工場の女たちのひび割れた肘や迷いなく動く指先、木屑で真っ白になったのをエアスプレーみたいなのでわーっと吹き飛ばすのとかめっちゃいいシーン。すごいクローズアップでこっちを見ているような、しかし観客にも対話相手にもギリギリで正対しない視線。その場にいるかのような超クローズアップで次々に人物を画面に入れながらゆっくり横移動→回転していく(多くの人はこんなふうに近くから人を見ることはあまりないはずなんだが、なぜだか不思議な臨場感があるのよ)のが特徴の撮影はじっくり重厚、しかしウダウダしたとこがない「ある女の物語」はすごい勢いで進む、超機能美の世界なのも好き。

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『アダプション/ある母と娘の記録』でメーサーロシュ・マールタを初めて見たけどこんな良いのか。リバイバルでの公開時に初めて名前を知ったのだが、こんな感じなのねー。子どもがほしい木工の中年女とティーン(年齢は明示されてないが未成年)で家を追われた不良娘が擬似的な親子関係を結ぶ、という物語だけでは到底表しきれない、人が生きていくということをじっと見つめて、見つめて、見つめる映画だ。他のメーサーロシュ(ハンガリーなのでこっちが苗字)の映画も見てみよう。かの(東欧映画界隈で)有名な撮影監督ヤンチョー・ミクローシュとパートナーだった時期もあるのね。

ヒットマンの面白いとこの話。本筋に触れる 

ところどころリンクレイターの相変わらずマッチョなところ(エブリバディ・ウォンツ・サムとか苦手)は顔を出してるなーとも思ったが、アポロ10号1/2(これは傑作だと思う)で「野蛮な時代」の客観視ととはいえそこに愛着があるんよね、を両立したのが今作にもつながってる気がした。グレン・パウエルのトゥーマッチさというかある種の古い「いい男」性というか「普通さ」がない(全部パフォーマンスに見える)という個性をこういう使い方にした段階で半分勝ってて(事実判明から秒単位で表情がロンとゲイリーを行き交って見えるの演出と演技が噛み合ってて素晴らしかったね)、あと半分はキャリア後半戦は「底抜けワンダーランドとしてのアメリカ」を軸にしたいとこがあるのかしらん、などと

そもそもあのおとり捜査の底抜け感がすごいと思うんですよね。顔見えるとこに出る仕事してる人がパートタイムジョブでやるかそれを。出廷もするんかい。そもそもあれで未遂とみなされるんかい。普通そこで迷うだろということが全部迷いなく成立してしまうワンダーランド。銃は日常にあるもので、未解決の殺人事件も当たり前、しかしやたらと明るい世界でやべーやつがやべーやつと出会って恋に落ちてぬけぬけと幸せになったよラッキーまでの一筆書き。おもしろ!

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ヒットマン、ソダーバーグと隣接するときのリンクレイターって感じだったんだが(全部見てるわけではないのだがバーニーと近い気がする。どっちもネタ元がある「倫理的にダメ」というより「倫理的に変」な話だし)ソダーバーグと違うのキャラクターへの愛着だよねーという話をした。ソダーバーグ先生は「状態」「状況」をめちゃくちゃ愛してはいるがキャラクターは愛さない人だと思っているので…なおフィンチャーは案外キャラクター愛の人で二次創作マインドの強い人だと認識してる。このあたりの監督の映画はどうしても本編よりも作家性のほうに話が逸れてしまう私がいる。

で、ついでに見たことなかった古典、シンデレラ見てみたんですよ。これがね、ちょっと面白いことに、めちゃくちゃ自我が確立した「夢だけは奪われんぞ」の根性座った「私は私のやり方でいく」シンデレラ像なのね。顔つきからしてアグレッシブ(あとすごくセクシーに撮られている…!)。いわゆるシンデレラストーリーというときに想像されるヒロインの「健気さ」みたいなのがあんまりないの。最後まで先を読んで振る舞う、生き延びるための働き者ヒロイン。ルッキズムというよりハリウッドクラシック作品によくある「野暮な人間はどれだけ馬鹿にしても良い」ヨーロッパ趣味が露骨な(見た目も醜く描かれている義姉たちだがむしろその振る舞いの野暮さが強調される)とこには、まあさすがに厳しいものがありますが、この時代でも既にお伽話の古さを革新しようとする意識は端々に見えて、そう単純に「幸せに暮らしました」も否定できない迫力がある。この女は女王になっても「仕事」をやり抜くであろう。そのドレスのごとくシンプルで大胆な女。

あと○と上下運動の映画でもあり、王様(このキャラクター自体がかなり「子離れできない」存在なのも興味深い)と大公のドタバタ、ネズミたちの屋根裏アクションとかに妙に尺が割かれてるのも面白かった。シャボン玉コーラスとかのアイデアも楽しんだ

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ファミリーは呪いであり祝福であり、まあだいたい何かしらの強い繋がり(愛と呼ばれたりするもの)がそうなんだけど、その繋がりがなかったら生き延びられなかったコミュニティもあるわけで。そこに亀裂が入った時に建て直せるのは最も「らしくない」存在かもしれないし、でもそれは建て直せるまではわからないこと、みたいなね。

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「ミラベルと魔法だらけの家」見た。あらこれもよくできてるわね。全体にはやや薄味なんだけどそのぶん失速しない脚本だったので、あとから好感を持って思いだせそうな。歌いまくる映画でつまんないバラードがほとんどないとこも。リンマニュエルミランダ案件だからということだけでなく、プリンセス映画の在り方としてモアナっぽい良さがある。非常に舞台映えしそうなアイウォントソングの演出とか面白かった。2010年代からのディズニープリンセス映画、ミュージカル映画的な演出ではなくガッとステージっぽくなったの面白いよね。やはり3Dだとそこに向かうということか。あと「奇跡(ミラクル)を救う」という表現が面白い気がした。奇跡とミラクルって同じではないんだなーと

またこういう家族愛で自分を傷つけた人を許してるのとかどうなん?と受け取ってた人もいたと記憶してますが、私の見方はむしろこれ、かなり面白い捻りのある家族話では?なんですよ。この時代にプリンセス映画をやるとはどういうことか。
呪いと恩恵をひとつにして「私が私をみつけるまで」の話にしてるのも、やはりモアナと近いように思う

作劇の限界となっている部分は色々ある(旧作邦画まあまあ見る人としては時代劇として昭和を撮る難しさはすごく感じる)としても「全部やりたい」ということ自体がすごいんだ、という視点。

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なんだかんだと虎翼見続けているのですが(連ドラ体質ではない私が…すごいことだよ)今のところこのドラマについて(私はそこまで熱くはなってないけど)柴田聡子さんのこの文章がいちばん好きだなと思った。
andpremium.jp/article/satoko-0
【『虎に翼』は、ほんとうにたくさんのことを描こうとしている気がする。すべてを描くことはできないとしても、それでもなんとしてでも描くんだという意思を感じて、見ている時によく涙が出る。物語はとても面白く、励まされたり光明を見る場面も多いけれど、土台は人それぞれの地獄、しかも立ち上がるためのかたさが地面に残っている、それが地面に突っ伏した人にはわかる、立つかどうかはその人が決める、そんな地獄の話のように思う。それは希望であって地獄であって、泣いてしまう。】

ちょっとミーガン的ミーム狙いがすぎる気も…とか思ったけど。でも楽しいホラーアクション。キャサリン・ニュートンはたぶん本当にこういうのが好きなんだろな、ちょっとした仕草がホラーのギャルしていてよろしい

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アビゲイル、どうということのないおもしろホラーアクションだけどアビゲイルちゃんがめっちゃ元気なのでよかったですよ。かまってよー!

特定の人からお墨付き(賛否どちらでも)が出ると周囲もだいたい同じ方向に…というのは特定の人が特にそのつもりなくても起きるので、ワーッとなること自体が苦手じゃない人が生き残っていき、ワーッとなるのに耐えられない人は距離をとるしかなくなるのかもな、などと

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