『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』は含み笑いでできているような、超ロマンティックにキラキラした映画で、全体的に謎なことはなにもないけど謎なことしかなくて、大変かわいかった。
ガーマルチョバ!って私もそのへんのひとに挨拶したくなる。誰も泣かない、誰も怒らない。人がそこに在るように道があり、橋があり、結構な荒波の川が流れてて、ロープウェーがわたってて、犬が居て、鉄棒があって、カフェでは合唱が始まり、サッカーボールが転がっている。ギオルギの部屋の下に集まったこどもたちがわやわやー!としながら走っていくときにエイヤッて側転する子がいるのとか、画面の端から現れた犬がトトトト…と逆方向に向かっていくのとか、なんかもうリズム的に気持ちいいんですよ。
「誰だお前は」な語り(監督)も大真面目な声でよろしい。あまりにも「なんだこれ」が繰り返されるのに笑ってしまって、相手の姿がわからないふたり、などは関係なく進んでいくあちこちの画面の豊かさにずっとふわふわ酔っぱらって散歩してるような気持ちよさがあった。と思ってたら最後めちゃくちゃいい終わり方。ここにはそういう話があるんですよ、ここまで見てきた人にはわかるでしょう、教訓もなければオチもない不思議なだけのお話が、でも幸せな余韻とともに終わる場所だって
『赤い影』はうっすらフラッシュバック/フォワードの映画だということは知っていて(実際画面設計が極めてノーランの元ネタ的な…と思ってたらやっぱりそうなのねhttps://ohtabookstand.com/2020/12/8040000-3/)、しかしなんかそれどころではないただならなさみたいなものがあった。こういうミスリードの方法は英国で流行っていたのだろうか(別の映画を思い出しながら)。異国という甘美な恐怖。
既にネタバレ云々ではない映画だとは思うのだが、運良く?詳しいことを知らなくて、素直に「そういう話だったのねー」となれてよかったです。この時代のドナルド・サザーランドは美しい獅子のような風貌で、古都の美観に負けないダイナミックな身体と圧倒的に強い顔。そこがいちばんの目眩ましポイントになってるのが面白いなーと。
全体にただただ思わせぶりといえばそれまでなのだけど、とにかく冒頭のカットバックの矢継ぎ早が異様すぎて目を見張ったし、熱烈なセックス描写(これも有名ね)の編集のリズムも、後半に教会で起きる事態のカメラワークもすごい独特で見てて楽しい。なんか全部が不自然なんだけど、不自然すぎて自然に見えてくる。なぜか人が歩いてなさすぎる歩道とか人形を拾うとか、やりすぎなんだけど、でもなんかいいの。
『2/デュオ』は絶対トリガーワーニング入れたほうがいいと思ったけど(マジでこの映画の精神的DVの厭さはやべーもんがある、そのわけのわからない当たり散らし方といつなにが原因になるのかわからなさが凄い緊張感で厭すぎるのよ)90年代の一部の邦画のやたら尖った実験精神と諏訪さん(根っからまっとうな監督代表みたいな人ですよね)の真面目で丁寧な「みんなで作る」が組み合わさって、ただただ異様なものができているのが面白くて、自由だなーオイ!とギャー!怖いよー!でも私は(直接経験したわけじゃないけど間接的に)知ってるんだよこの感じー!を繰り返して心がひび割れた。疲れた。大丈夫って言うひとは絶対大丈夫じゃない人。カメラ位置の関係でどんな顔をして聞いているのかわからないところがずーっとわからないまま続くのとかも超怖い。
設定を決めて即興で展開を作っていくというインプロ要素を取り入れた映画は色々あると思うけど、ここまで「フレームがあることを意識させては、劇映画とドキュメンタリー/自然と不自然の境界線を妙なタイミングで溶かす」試みがなされているのすごいわね。演じる存在の視点で答えているのか、キャラクターとして答えているのかインタビューパートの曖昧さとか、柳愛里のアッ…アッ…の声とか忘れがたいわね…