私がいわゆる「自己啓発」などに批判的な態度をとっているのは、どうもあのやり方はこの比喩における直線の農業用水路を強化し、素早く大量の水を短時間で流そうとするやり方に見えて仕方ないから。
精神的に強い人にはいいけど、私のようなメンがヘラりやすい人があれに手を出すと、危険すぎる。私の場合は直線水路を目指すと、すぐ暴力的になりやすく、死にやすくなる。
小説や絵画や思想や高等数学や文学や生物学などにシンパシーを感じるのは、思考や概念の流れをより複雑かつ着実かつゆっくりにしてくれるから。すぐ結果出ないこともわかるし(基礎研究大事)。
ノキさんのアドカレ記事の論旨とは違う視点においても、古典などを学ぶ意義を私も擁護している。
精神的な領域において、そういった複雑な豊かさがないと思考が荒び、メンタルの危機が起きやすくなり、社会も荒れると思っているから。
QT: https://fedibird.com/@utan/113655047961463376 [参照]
「首尾一貫性」に関して
人のメンタル関係のことを扱おうとする人にいつも説明することがある。いい機会なのでこちらでも共有。
まず二つのイメージを思い浮かべてもらう。一つは山の中の高低や湾曲などで複雑に流れる渓流。
もう一つはコンクリート舗装された直線の農業用水路。
人間の精神にもエネルギーがあって、過去から現在、現在から未来へ流れていると想定してしてもらう。
あなたが自分自身や相手のメンタルの状態の「良い」状態であるとするのは、複雑な流れや淀みがあり流れるのに時間がかかる渓流か、直線で淀みなく素早く流れる農業用水路か、どちらですか?と問う。
そこそこの人が直線の用水路が「良い」状態だと答える。
ここで「直線の用水路のような精神状態だと、その人が希死念慮をいだいた時、直線の最短距離で自殺既遂となりませんか?」と問う。
ここで「うっ」っとなってくれれば、私の伝えたいことは伝わったということ。
ある時は抑うつがあり、ある時は首尾一貫性がなく、ある時はいいかげんで、ある時はがんばり、ある時はゆったりとサボれるような、複雑さのある精神状態を周囲はサポートするべきであり、直線の流れにその人がはいったら警戒すべきだ、ということ。
変な首尾一貫性なんてないほうがよく、矛盾を受け入れられる柔軟性が大事だということだ
(承前)
マタイとルカの系図の違いについて、田川建三の解説を引用します。
「ここには、アダムは神の子であり、従ってアダムの子孫である全人類は神の子なのだ、という理念が表白されている。まさにストア派的な、人間は神から生まれた『神の一族』である(使徒行伝)十七・二八)。……まさにこの点がルカの系図とマタイの系図(アブラハムからはじめて、イエスを生粋のユダヤ人として描こうとしている)との根本的な相違なのである。」
『新約聖書 訳と註 2上 ルカ福音書 174頁』
ここらへんのおおらかさが、私がルカのほうを好きな理由ですね(マタイが好きな人、ごめんね)。
救いはユダヤ民族に限定されないのです。
「ルカ福音書のにはマタイと違いイエスの系図は出てこない」と書きましたが、説明不足の表現だったので下記のように訂正しました。
「一方、ルカ福音書のクリスマスにはクソ長い系図も、東方の三博士も乳香、没薬、黄金も登場しません(系図は第3章でイエスの公生涯の始まりにマタイと違う形で出てくる)。」
伝えたかったのは、マタイのように系図を使いクリスマスを王者誕生物語とルカはしていない、ということです。
訂正の上、説明不足をおわびします。
マタイとルカには共に系図がありますが、その位置と内容は異なっています。
マタイは冒頭に配置し、系図の始まりを「アブラハムの子ダヴィデの子の」とユダヤ民族の始祖アブラハムにしています。
一方、ルカは系図をイエスが洗礼を受けるシーンに配置し、系図の始まりをユダヤ民族の始祖アブラハムを突っ切り、アダムから神までさかのぼります。
これは顕著な違いです。
QT: https://fedibird.com/@utan/113642343540852415 [参照]
ノキさんがアドカレ記事で拙文を紹介してくださいました。ありがとうございます。
「知にとって不要なものなどない」と豪語したいところですが、利潤動機に突き動かされた社会では利潤を生まない研究や分野は軽視されるのが現状です。
特に人文知は「ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ」とヘーゲルが『法の哲学』で述べたように、ミネルバの梟(知の象徴)は黄昏(すでに物事が起き、結果が出そろい始めてから)にその出来事の意味を分析し、研究の体系をまとめ始める性質があります。
現在のようにタイパが求められる情勢では、あまりにも鈍重かつ遅足でしょう。
しかし、ノキさんが主張されるように、万人に開かれた学知を権力批判を通して構築しておくことは、権力や利潤が暴走したとき(常に暴走状態にありますが)、その対決軸を作るにあたって必要不可欠。
そんな「知的な社会的誠実さとは何か」をアカデミアという知の現場の研究者から考察したノキさんのアドカレ、ぜひご一読ください。
Fediverseアドベントカレンダー( https://adventar.org/calendars/10051 )13日目の記事を公開しました。
Fediverseにやってきて1年5ヶ月、初めてアドカレに参加できてうれしかったです。
信者側から見たキリスト教のアドベント(待降節)の精神的な意味を紹介し、その上でFediverseのアドベントとクリスマスの意味を考えてみました。
🐑🐑🐑羊飼いが出てきます🐑🐑🐑
ご笑覧ください〜。
https://oryzivora.page/二つのクリスマス-750d0b08d274?gi=705df5f6d027
つねづね「推し活」は宗教と類似しているどころか、宗教現象そのものであると感じてきた。
その観点からの指摘が出てきて、やはりそう思うよな、と納得するなどしている。
このテキストでは訳者の柳澤さんが、推し活と宗教との同一点を強調している。
事務職をしながら本を読んだりオンライン読書会を開催したり
大学時代の専攻は哲学。
現在の関心は多元論や宗教思想における他律/自律概念、ウィリアム・ジェイムズのプラグマティズムなど。
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