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高尾山へ行ってきた。ずっと舗装してあるので山登りというほどでもなかったが、ずっと登ってなかったので足慣らしということで。山頂からはきれいに富士山が見えた。東京都内からこんなによく見えるとは。

自選十句を選んでほしいという依頼があって、自分の句集をパラパラとめくってみたのだが、どれが良いのかもうわからなくなっている。それほどこだわりはないので、他選でも同じことという気がして、そうしてもらおうと思う。俳句の良し悪しは自分が決めることではないのだし。

俳句の当事者性について 

俳句の当事者性は難しい問題といつも思う。震災詠はもちろんだが、都会の人が農業の現場を見て詠んだ俳句などにも実は少し抵抗がある。自分が農家だったから、領域を侵されたように感じるからだろうが、無意識の上から目線のようなものを感じてしまう。

もちろんそんなつもりがないのは承知しているが、たとえば沢木欣一の塩田の句などは、都会のインテリの沢木が厳しい労働現場を見て詠むという行為自体が、ある種の勾配をもっているというのは否めないと思う。その点で、佐藤鬼房のような、自分が労働者である立場とは違う。

今まで自分が農家であるという立場をとても重要視してきたが、農家でなくなって、どうしたらいいか迷っている部分は正直ある。このあたりは、震災詠とはあまり関係ない話で、震災詠のことは別に考えていかなければならないが。

2024年、今年もよろしくお願いいたします 。今日は風が強いですね。

今年は引っ越しのインパクトが強すぎて、他には何もしていないような気がしていましたが、2月に北海道立文学館の特別展「細谷源二と齋藤玄」展の関連イベントとして行われた、五十嵐秀彦さん、瀬戸優理子さんとの鼎談に出たのでした。あと、その展示の図録に論考を寄稿したこと。あといくつかの雑誌に文章も書きました。

俳句作品の依頼はひとつもなかったなあ。原稿依頼はあってもいいのですが、なくてものんびりできるので、それもまたいいと思っています。

「雪華」のHPを更新しました。1月号の巻頭は《犬釘の並ぶ冬日を跨ぎけり 五十嵐秀彦》学生時代、一日に2本しか列車のない深名線の線路を歩いたことを思い出しました。次の駅まで歩けば昼の列車に乗れるから、という理由だったが、途中のトンネルが怖くて引き返したのですが。

時刻表にないとはいえ、回送列車などとトンネル内で行き会うのは恐ろしいことなので。

深名線には線路沿いに道路がなかったので、バスもなく、結局夕方まで駅でずっと待っていました。

散文置き場には、五十嵐秀彦による、鈴木総史『雨の予感』(星野立子新人賞受賞作)評と、私が書いた小津夜景「花と夜盗」評を掲載しています。yukihana-haiku.com

本来は鍵マークがついている投稿はフォロワーしか見られないようになっているみたいなんだけど、どういうことなのかよくわからない。

mstdn.jp/@rna/1111137550063763 [参照]

北野武の映画は見たことがない(たけしの芸能界での「ボス的立ち位置」が好きじゃなかったので、映画も見る気がしなかった)けど、「首」は見てみたい。

「首」の二次俳句、いいと思う。この人、鍵マークが付いてるけど、ポストが読めるのはどうしてなんだろう?

もうすでに年末だが、ぜんぜん年末感が感じられない。雪がないからじゃない? と妻が言って、そうかもしれないと思うが、そうでもないのかも。

今まで農家をやってきて、会計の締めが年末だったということもあるし、今年一年がどうだったのかと振り返ることもあった。

今年は環境に大きな変化があったので、それが大きすぎて、年末年始という節目が吹っ飛んでしまっている、ということかも。

署名しました。一日でも早く暴力が止むことを願っています。>ブースト

鈴木牛後 さんがブースト

"Culture Against Apartheidは、パレスチナの大量虐殺と民族浄化を止め、この問題の根幹にある、あらゆるレイシズム、性差別、抑圧、アパルトヘイト体制に抗する『文化』をつくる試みです。"
cultureagainstapartheid.jp/

【Culture Against Apartheid /アパルトヘイトに抗する文化】に賛同しています。
「作家」と名乗って署名していますが、私は社会的には圧倒的に「会社員」でいる割合のほうが多い、ただ書くことが好きで作文をしてそれを好き勝手に発表している、というだけの一市民です。賛同する気持ちがあるかたにはどなたでも、輪に加わっていただけたらと思います。

声明文にもあるように、表現や芸術、文化とは「あらゆるレイシズム、性差別、抑圧、アパルトヘイト体制に抗する」力をもつもの、もつものであってほしい、という気持ちが強くあります。

パレスチナ、そしてすべての土地において即時かつ恒久的な破壊と暴力の停止を望んでいます。

話題の映画「窓ぎわのトットちゃん」を見てきた。戦時下というもっとも制約の大きい時代に、あれほどの「寛容」があったということに驚いた。ひるがえって、長い平時の現在の何と不寛容なこと。自分もその不寛容に与しているのではないかと思うこともあるので、もう一度「寛容」ということについて考えたい。

X からたびたびコミュニティノートへの協力の依頼が来る。いつの間にか登録してあったらしい。登録を解除したいが、方法がわからない…。よく読んだことはないが、機能してるのかね?

この件、あまりに読みにくいということで、4ページに割り付けし直したゲラが送られてきた。これで読みやすくなった。ありがたいこと。次回からは、事前に原稿の量についてきちんと打ち合わせします。いつも言葉たらずで、家族にも指摘されるのですが、なかなか直りません。

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校正をしていると、読点を足したくなるのですが、よほど読みにくいと思うときでなければやりません。そこまでやると越権という気もするので。

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読点の打ち方は人それぞれで、特に決まりみたいなものはないのでしょうがが、私は多めに打つ方。2行くらい読点なしで文章を書く人も珍しくありませんが、読む方はずっと休みなく文字を追わされているような感覚になって、ひどく疲れるのです。

でもそうは思わないから、読点を打たないのでしょうね。読むときには自分で適当に区切りながら読むということで。これは私の癖なのかもしれませんが、どうしてもそのように読めないのです。

これも愚痴か。愚痴を書いてもいいところと思えば気楽。

結社誌の校正中。私の担当のページ、本来は2ページなのだが、今回は3ページでお願いしますと言って送ったのに、ぎちぎちに2ページに詰め込んである。

うちの結社は経営が厳しくて、主宰が自費で赤字を補填しているので、ページ数の節減は仕方がないこと。でもこれではたぶん、かなりの人が読むのを諦めるような気がするなあ。

事前に相談せずに長くした私がよくなかったので、単なる愚痴ですが。

鈴木牛後 さんがブースト

このイスラエル/パレスチナ問題の資料4枚にキチキチに情報詰まっててよかった。シオニズム運動の広がりを起点とした歴史の整理。選挙で勝ったハマスへの国際援助が停止され、封鎖されたガザから物資を奪い、さらに度重なる攻撃によって生活基盤ごと破壊してきた経緯が解説されてる。年表もありがたい
twitter.com/p_sabbar/status/17

俳句とルビ 

先日、投句を夏雲システムで行った句会で、「これはルビを振らなくてもみんな読めるんじゃないですか?」と言われたのだが、「そうかもしれないけど、振ってもいいでしょ?」と思う。読むときにじゃまにはならないと思うんだけど、どうなんだろう? 短時間で選句しないとならないから、多めに振っておいた方がいいと私は思う。

句集も、できるだけルビがあった方がいいのではないかと最近は思っている。辞書をひけばいいと言う人もいるが、辞書の引き方にも修練が必要で、誰にでもそのスキルがあるわけではないから。私の句集は俳句をしない農家の人もたくさん買ってくれたので、おそらく読むのをあきらめた人もいるんじゃないかな。

俳人はみんなインテリだから、読めるのが当然と思っているかもしれないが、それはちょっと傲慢かも。

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