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「俳句四季」10月号の、筑紫磐井さんの「俳壇観測」の歳時記についての文章の中で、角川大歳時記の新版で地貌季語がいくつか採用されたことについて「毀誉褒貶」があったと書いてあった。具体的にどんな意見があったのか、かなり気になる。毀誉褒貶というくらいだから、批判もずいぶんとあったということか。了見が狭いねえ。

鈴木牛後 さんがブースト

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「【袴田事件】検察の控訴を許すな!無実の袴田巖さんに一刻も早い真の自由を!9月26日判決予定!元プロボクサー袴田巖さん(88歳)は無実です!お金は不要です。あなたの署名が力です。」 change.org/p/袴田事件-検察の控訴を許すな-無実

本日発売の角川「俳句」10月号に、「熊の出る話」12句を寄稿しています。よろしくお願いします。kadokawa-zaidan.or.jp/haiku/

私が結社を重く感じてないのは、結社内の「競争」とは関係ないところにいるということもありそう。雑詠欄は常に上位と決まっているみたいなので、結果にあれこれ思うこともないし(それがいいか悪いかは別として)、次の主宰の座を狙っているとかいうこともない(どちらかと言えば絶対に避けたい)。

私みたな立場の人は少なそうだから、一般的に言えば結社はたいへんそう。それでも結社という仕組みは、選択肢としてあった方がいいとは思う。誰しもが徒手空拳で俳句の海に飛び込めるわけではないので。

私は結社の人間関係は重く感じてなくて、それは本拠地から遠いからだろうな。文章を二つ書いて、校正もしてるから、負担感はかなりあるが、人間関係の重さに比べたらずっとまし。人間関係が面倒になったら、たぶんすぐにやめる(そうはいかないかなあ、引き留められるだろうし)。

ちなみにその授業は出席しなくても全員に単位がもらえたので、出席しているのは歴史を専攻している数人しかおらず、思想的な害はほぼなかったと思う。

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大学のことが話題だけど、私の通っていた田舎の大学では、日本史概説とか言いながら、一年かけて日本書紀のことをやっていた。ガチガチの右翼の教授で、今ならそんな授業は許されないと思うが、当時は何でもアリだったみたい。

当時は田舎の大学だから、と思っていたが、特別だったのかどうか。

川柳のことで文章を書くという宿題をもらっていて、何を書いたらいいかなあとずっと考えてだのだが、今日、思いきって、川柳の句会に参加してきた。

現代川柳だから意味が通る通らないは問題ではなく、それでは何を基準に良い川柳と良くない川柳を決めているのだろう?という疑問がずっとあった。俳句でも意味にとらわれないものはたくさんあるけど、それは意味優先の俳句との対比とか関係性で語れる。

でも現代川柳は、ほぼすべてが意味が通らないから、その比較ができないから難しい。昨日の夜に一気にたくさん作った中から、こんなものかなあと思うのを持って行って、思ったより取られたので、何となくわかったような気がする(気がするだけかも?)。

お誘いを受けて、ビアガーデンを堪能した帰り。2駅乗り過ごして折り返しの電車に載った。終電じゃなくてよかった。

給食の話 

誕生日がカステラだったのは、自分から頼んでカステラにしてもらってたんだよね。クリームが食べられなくて。回りには不思議がられていたみたいだけど、まさか洗脳が原因だなんて、わからなかった。

これが洗脳だとわかったのは、大学に入ってから読んだ雑誌記事で、誰だったかな、当時人気のミュージシャンが、左翼嫌いな父親のせいで、道路を左に曲がれなかったと書いていたこと。左に行きたいときは、右折を3回していたらしい。これを読んで、自分と同じだと思った。私よりひどい話だけど。

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給食の話 

私も給食の時間はたいへんだった派。1、2年生のときの担任はとても給食に厳しくて(給食だけじゃなかったけど)、パンに塗るハチミツとか、空き袋を「キップ」として当番が持つ箱に入れないと教室から出られなかった。

なぜハチミツが食べられなかったかというと、父親が甘い物が嫌いで「甘い物なんて人間の食べるものではない」と幼いころから聞かされていたから。なので、どら焼きをもらったら中の餡をこそげ取って皮だけ食べていたし、誕生日はいつもケーキではなく、カステラだった(カステラはなぜかOKだった)。

唯一食べられた甘味が、父親が葬式に出たときに持って帰ってくる弁当に入っていた羊羹だった。それはたぶん「父親の許し」があったと、自分の中で認識していたためだろう。今から考えると、こういうのを「洗脳」っていうことがわかる。恐ろしいね。

朝日新聞には農業の記事がほんとうに少ないなあ、と思う
(読売や毎日もだと思うが)。

北海道では、農業の景気の良し悪しがほぼ全道民に関わっていたから、北海道新聞には毎日のように農業の話題が載っていたので、余計にそう思うのかも。

これで農業への関心が高まってくれればいいのだけれど。

鈴木牛後 さんがブースト

有料記事がプレゼントされました!9月14日 11:05まで全文お読みいただけます

米不足、減反と高齢化の果てに 「最悪のシナリオ」が今年、始まった(朝日新聞デジタル、2024/9/12)
digital.asahi.com/articles/ASS

〈減反は2018年に終わったが、今も生産量は減り続けている。米の卸売業者でつくる全国米穀販売事業共済協同組合は今年、30年代に国産米だけでは需要をまかないきれなくなるおそれがあるとの試算を発表した。
(略)
減反は多くの有能な農業従事者から水田と意欲を奪っていった。「農家が一度失った意欲は戻らない。国が増産にかじを切っても、それを担うだけの人材はいなくなりつつある」と話す〉

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「もう作らなくて」というのは、今回作ったら、次回はもういいかな、ということです。

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句集の原稿を作った。どの句を入れて、どの句を外すか、とか考えるとまったくキリがない。一週間くらい考えたので、これでいいことにする。

去年までの5年分、北海道時代に作った句ということをまとめておくという意図は、これで達成できそう。句集はもう作らなくてもいいかも。

「痴漢のすすめ」みたいな記事が90年代によく雑誌に載っていたということは記憶にないが(雑誌を読むということがたぶんなかったらと思う)、私が大学生だったころには、「スカートの中が覗けるスポット」として、デパートのエスカレーターなどが挙げられていたことがあった。私の住んでいる街のデパートもあったら、そんなところで上を見上げるような度胸はなかった。でもそれが、成人向けでもない、若者向けの雑誌に載っていたのだから、今から思えばひどい話。正直に言えば、当時はそれほどの認識はなかったけれど。
president.jp/articles/-/31474

家族の体調が悪いということで、途中から炒め物を交替したのだが、皿に移すときにフライパンが重くて持てず…。こんなのが重いの?と言われてしまった。

仕事をやめてまだ1年にもならないのに、これほど筋力が落ちているとは…。これではすぐに老人(もう初老ですが)になってしまいそうなので、筋トレしようと思う(続くかな)。

遅ればせながら、佐々木紺さんの句集「平面と立体」を読みました。世界を見つめる繊細な目が印象に残りました。
《蚊帳の果人形のこゑで話して》は、話してほしいと言っているのか、自分が話しているのか、読みが分かれるかもしれませんが、いずれにしても人形の声の密やかさが何とも言えず。《押し花のさいごの呼吸しぐれゆく》なども、すーっと紙に吸われていく音が聞こえそうな気がします。

というわけで、「雪華」10月号には、この句集のことを書きました。

「俳句と才能」について。もうたくさんの人が書いているみたいだけど、考えてもよくわからないというのが正直なところ。名を残した俳人は才能があったのでしょうが、それは何かと言われてもよくわからず、好きならそれでいいのでは、としか言いようがないような気がします。

Xを見てると、投稿欄で選ばれた人はみな喜んで感謝の言葉を書いているけれど、選者に対する不満はないのかな?不満がまったくないというのは、初心者でなければかえって問題のような気がします。不満がない方が楽だし、精神衛生上はよさそうですが。

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