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引っ越しをした理由について、経営が破綻してやむなく…と思われているフシがあるみたい(そのような内容のメールなどをもらったことがある)。

じっさい、現在はたいへんな不況で、継続していてもたぶん利益は出なかったと思うが、廃業を決めたときはまだ少しは景気がよくて、もったいないねえ、などと言われたくらい。

経営不振での廃業だったら、境涯俳句みたいなのを作るにはよかったのかもしれないが、いずれにしてもそのような俳句は作りたくない。

私の俳句は私小説的に受け取られているのかもしれないが、そういうつもりではないんだけどねえ。

初めての吟行句会、緊張感があって楽しかった。対象そのものを楽しめないという憾みはあるものの、それもよし、これもよし、という感じかな。俳句を得るチャンネルはいろいろと持っていていい。これも今までの感覚とはちがうところかも。

今度の日曜日に、誘われて吟行句会に行くことになった。
割と長く俳句をやっているが、吟行句会は初体験。作れそうな気がまったくしない。

今まで吟行をしたことがないわけではないが、いつも自分ひとりなので、作っても作らなくてもよかった。何がなんでも作らなければならないとなると、どうなんだろう?それは行ってのお楽しみ、かな。

自転車にも慣れてきて、少しずつ遠いところまで行っている。自転車に乗るようになって思うのは、自動車の威圧感。運転している人には、そんなつもりはないのだろうが、圧倒的な力の差に飲み込まれそうになる。

人と人との関係にもそういうことがあるのだろうと思う。立場が上の人はふつうだと思っていても、弱いものは実は怯えていることが。

自転車も歩行者に比べたら暴力的な部分があるので、気をつけて乗ります。

オンラインが発達した現代にあっても、「土地」においてつながっているという感覚は重要だと思った。「地に足がついている」という慣用句があるが、そんな感じ。故郷から切り離された(特に外部の要因によって)人が持つ疎外感を、少しだけわかったような気がした。自分の意思で故郷を出ても、それ相応の感慨があるのだから。

今日は、前に北海道でやっていた句会にオンラインで参加した。他のメンバーは公民館に集まって、ぼくだけがオンライン参加。みながオンラインだとそれはそれで満足できるのだが、ひとりだけオンラインだと、やっぱりどこか疎外された感覚は残ってしまう。慣れなのかもしれないが。雑談も思うようにはいかないし。句会には雑談も重要な要素なのだと、改めて感じる。難しいね。

自転車を受け取ってきた。さっそく乗ってみたが、数十年ぶりの自転車は怖い! 出だしからふらつくし、まっすぐに走れなくて、どうなることかと思ったが、慣れたらまあまあ走れるようにはなった。  

ただ、車のたくさん走っている道路はまだ怖い。後ろを見られないのは落ち着かないので、まずバックミラーを買う。

鈴木牛後 さんがブースト

今日は数年ぶりに散髪へ行ってきた。髪の毛の手入れなどは面倒で嫌いなので、いつもは自分でバリカンで刈っていたので(牛舎で)。でももう牛舎もないし、部屋でやるのもどうかと思い、近所のスーパーの中の散髪屋さんへ。もちろん丸刈りで。とてもさっぱりした。

今日は自転車を買いに行った。クロスバイクと呼ばれているもので、ママチャリとスポーツ用の自転車の中間くらいのもの。乗ってみたら、あまりにサドルが硬くて、耐えられそうになかったので、やわらかいものにしてもらうことにした。納品は1週間後。自転車に乗るのはかなり久しぶりなので、かなり楽しみ。

せっかく行ける環境になったのだから、明日は文学フリマへ行こうと思っていたが、片付けが終わらないので今回は見送りに。

前に住んでいたところは、体に感じる地震は、三十年で2、3回(しかも弱い)しかなかったが、こちらではそうはいかないことに気づいた。本棚に転倒防止対策をしないと。

引っ越しの片付けをぼちぼちとやっている。なんでこんな本を持ってきたのか、と思う本もたくさんあるけど、限られた時間で決められなかったので仕方ない。代わりに家人がどんどん日用品を捨てたので、2トントラックで安く引っ越せたので、結果オーライか。手違いで注文した机が明後日まで来ないので、俳句のあれこれはそれから。

団地内の植栽には、北海道では見られない植物が多く、それだけでも楽しい。車は処分してきたので、早く自転車を買わなくては。

引っ越しし最初の夜。夕方6時ころに夕食に出て、日が暮れているのに、とても暖かいのに驚いた。北海道なら真夏の夜の感覚。この前まで住んでいたところの気温を見てみると、今朝はすでに氷点下。なんともいえない感じがする

引っ越しの途中に函館に寄っている。昨日は青函連絡船「摩周丸」を見てきた。連絡船には高校の修学旅行の往復で乗っただけだが、いろいろと思い出す。

クラスに、決して男子と会話しない女子生徒がいて、男子の興味をひくような感じの人ではなかったこともあって、男子はみなただ「変な人」という目で見ていた。

彼女は、昼休みなどはいつも本を読んでいたので、私は何となく気になっていて、連絡船の甲板で話しかけてみた。(彼女は私と親しかった女子生徒と一緒だった)そこでは意外に普通に話ができて、驚いた記憶がある。修学旅行の解放感のためだったのだろうか。

彼女が男子生徒と決して話さなかったのには、何か理由があったのだろうが、当時はまったくそんなことには思いが及ばなかった。

彼女とは、それ以降は話せたような気がするが、そこはあまり覚えていない。

今日は引っ越し。長年住んだ農場を離れるにあたっての感慨は、あとから来るのかもしれない。とりあえず天気がよくて何より。

今回の最高裁決定はよかった。いろいろあるけれど、少しずついろいろなことが前に進んでいると信じたい。Xとか見ていると、後戻りしているのではないかと感じることもあるが、あれが一般的な意見ではないということだと思う。

鈴木牛後 さんがブースト

【オンライン署名にご協力ください】イスラエル・パレスチナでの「無差別攻撃の即時停止」と「医療の保護」、「人道性の回復を」 | 事務局からのお知らせ | 国境なき医師団
msf.or.jp/about/information/de

“言葉が常に人命を救えるわけではありません。しかし、沈黙は確かに人を殺しえます。

——1999年ノーベル平和賞受賞スピーチにて 国境なき医師団会長(当時)ジェイムズ・オルビンスキ

国境なき医師団は、紛争により多くの民間人が犠牲となり、患者や医療従事者、および医療施設が繰り返し攻撃を受ける状況を世界各地の活動地で目撃しています。また、全ての紛争当事者に対し、国際人道法を順守し、医療従事者や医療を必要とする人びとが攻撃の標的とならないよう強く求めてきました。

今、パレスチナ・ガザ地区における無差別攻撃の即時停止、医療の保護、人道性の回復を求めます。皆さまと一緒に声を上げるため、署名という形で力を貸してください。そして、この署名活動を、SNSなどを通じて広く拡散することにもご協力ください。” 

国境なき医師団から署名のお願いが届きました。日本政府に提出するそうです。シェアします。

引っ越しに際して、妻は実に思いきりよく物を捨てていったので2トン車で間に合いそう。それに引き換え私はそうとうな量の本を持って行くことにしたので、どうも分が悪い。

たしかにもう読まない本もあるだろうが、本が手元にある安心感というのは、どうしてもわかってはもらえなさそう。まあ、夫婦そろって本好きだったら、たいへんなことになりそうだから、ちょうどいいのかも。

今朝は初雪だった。当地としては平年並みだと思うけれど、最後だと思うとそれなりに感慨深い。

足の方はきのう病院に行ってきたが、湿布と痛み止めが出ただけだった。まあ、そんなものか。室内で履くための靴と中敷きを買ってきたので、日常生活はこれで大丈夫。

名残惜しいという感情はそれほどないのだが、自分では気付かないところに何かはありそうな気がしている。生まれてから62年、短くはないから。

歩くと右足が痛い。足の裏に瘤状の出っ張りがあって、それが地面に当たって痛むようだ。ネットで調べて見ると、足底線維腫というもので、足底の腱の使いすぎと老化によって起こるものらしい。

仕事もあと10日余りだが、これでは仕事にならないので、防寒用の中敷きにそこだけ穴を空けたら、まあまあこれでいけそう。自然に治ることはなさそうで、そのうち整形外科に行かないとダメかな?

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