我々の頭に目は2つしかついておらず、視野は最大で200度くらい、文字などを詠める中心視野に至っては2度ほどしかないのと同じように、我々が認識できる物事というのはごくごく限られたものでしかないのです。
そういうことに自覚してない反差別運動とか巡り巡って現状維持に加担してたりするので。
ぶっちゃけ害悪だとは思うけれども。
しかしながら緊急のカウンターみたいなものにクオリティを求められないので、使えるものはなんでも使う、というのが現状なのではないかしら。
火事で家がボーボーに燃えてんのにかける水もないので、雨水がたまった廃タイヤ投げ込む、みたいな。
ああそうそう、んで私の琴線はクソレイシストが投げかける直球のヘイトスピーチより、”理解は示しますよー一緒に生きていきましょう”みたいな人々による自覚のないアグレッションを正当化されたりするときに最高にイラっとしたりするので、そういう所でキレます。