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何度か懺悔しているけれど、相互フォローしている方の嘆きが強すぎてミュートしてしまったことがある。

私も明らかにミュートされてんだろうな、とか、フォローしてる方の文脈が追えないので確認してみたらブロックされてるアカウントをBTしてたりして「あー」となることがしきりであり、特にこの夏あたりにコリアン語の表記にケチつけたあたりで顕著になったようだけど。

厚意によりミャンマーの森林僧院に出家者として迎え入れて頂くなどしたお陰で、ただ己の内面と向き合う機会を得たりしたわけだけど、そこで気付いたのは日本で抑圧され続けてきたエスニックマイノリティとしての生き辛さと、それに纏わる怨嗟の念であった。

他にも理由はあるけれど、それを溜めないようにこのアカウントでリアル人間関係では口に出せないことを、もしくは口に出す際の訓練としてここで怨嗟の声を吐いている、というところはある。

我々は個々に違うので私のパッケージがその人に丸ごと当てはまるワケはないのだが、単純化してしまったうえで投影してみると、そういうのを丸ごと抱えたうえで差別主義が染みついた人々の中でマイノリティとして運動してたりして、こちらから見ればそこに苦悶が垣間見えるのだけれど、それを見ない事にして苦しんでる方々がおり。

だからこそ抱えた怨嗟の念を(一応の配慮はしているつもりだけれど)吐き出しているこのようなアカウントに堪えられない、というのはあるんだろうなー、と。

まあただ単に不愉快だからブロックしてる、という人が殆どだろうし、まあそれはそれでSNS使い方だろうから。

ああそうそう、んで私の琴線はクソレイシストが投げかける直球のヘイトスピーチより、”理解は示しますよー一緒に生きていきましょう”みたいな人々による自覚のないアグレッションを正当化されたりするときに最高にイラっとしたりするので、そういう所でキレます。

「世の中を良くしてゆこう」とかもう関係ねえ。
俺がイラっとしたもんにただ文句つけるまでだ。
バーカバーカ。

我々の頭に目は2つしかついておらず、視野は最大で200度くらい、文字などを詠める中心視野に至っては2度ほどしかないのと同じように、我々が認識できる物事というのはごくごく限られたものでしかないのです。
そういうことに自覚してない反差別運動とか巡り巡って現状維持に加担してたりするので。
ぶっちゃけ害悪だとは思うけれども。

しかしながら緊急のカウンターみたいなものにクオリティを求められないので、使えるものはなんでも使う、というのが現状なのではないかしら。
火事で家がボーボーに燃えてんのにかける水もないので、雨水がたまった廃タイヤ投げ込む、みたいな。

2chのわけわかんないことを延々と書き連ねるコテハンと同じ感じなんだろうな俺、という客観視をしてみるなど

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