安田浩一さんが「日本の鉄道は朝鮮人によって作られ、作られた地鉄道は朝鮮人を運んだ」みたいな名言を言っていたのだけれど、鉄道だけではなく道路、治水工事、造船や鉄鋼など、朝鮮人、中国人労働者が昭和の日本の産業を下支えした”安い”労働力であったことは間違いないわけで。
そこらへんすら知らない、というのは、まあ、ホントなんというか、教育の失敗ではなく成功としか言いようがないよなと。
ついでのついでに、曾祖父まではそれなりの土地を持ち代々農業を営んでいたらしい。
そこに日韓併合からの土地調査があり、先祖代々の農地を奪われ、あっという間に困窮してしまったらしい。
そこでそれなりの賃金が稼げるから、と伊豆半島に東海道線を通すための人工としてはるばる慶尚南道から伊豆半島へと渡ってきたらしい。
丹那トンネル建設は湧水が多く、何度か大きな落盤事故を起こしたらしい。
その中の一つの事故で曾祖父は絶命。
慶尚南道にいた40代はじめの曾祖母は仕送りもなく、食って行けなくなったため、10才ほどの末の娘をアラスカに里子に出し、14歳ほどの祖父と一緒に曾祖父の遺骨を受け取りがてら来日、仕事を求めて京都の朝鮮人部落に落ち着くことになる。
ちなみに私の曽祖父は100年前に熱海の丹奈トンネルで人工として安い賃金で駆り出され、落盤事故で命を落とした朝鮮人の一人だった。