そうするとその社会の中で暮らしてる当事者にもそれが内面化されてしまって、自分は恥ずかしい存在なんだとか、自分は駄目なんだと自己肯定感がどんどん下がっていき、社会に出る気力が削がれてしまう。本当は社会に出て他の人と接触をすることで偏見は解消されていくはずなんですが、その機会も失われて、さらに偏見が強まって固定化してしまう。
だからアイヌでいうと、期待通りのアイヌとしての振る舞いを何か求められたときに反発の感情が生まれてしまい、アイヌと名乗りたくなくなる人も私の身の回りでは多いです”
匂いからコリアンだと日本人にバレないように、キムチや焼き肉は金曜日の夜にしか食べれなかった、と辛淑玉さんが仰っていたのだけれど。
ちょうど辛淑玉さんは私と親世代の真ん中位の世代で、私が社会に出た頃はバブルも過ぎ、焼肉やその他ニンニクを利かせたエスニック料理も市民権を得ていたので、辛淑玉さんほどの気を遣う必要がなかったのだけれど。
親世代はもう、そういうのにはかなりの気を遣いひっそりと暮らしていたところがあり。
そういう親世代には相手をする日本人が韓ドラやK-popだったりするだけで、それなりの気を許せるポイントになるようなのだけれど。
私なんかはひねくれているので、韓ドラK-pop好きなんですー、とか言われても文化盗用的な何かを経験上感じとってしまい、警戒心を解くようなことはない感じでしょうかね。
まあ、最終的には人によるんでしょうけど知らんけど。
韓ドラとかK-pop好きな人が、私がコリアンだと知ると「〇〇っていいですよねー」とか振ってくることが多々あり、それに反応しなければならない時に同様なハラスメント的な何かを感じるよなー、と。