こういう脳内ループの解消法は曲を丸々聞いてみるとか歌詞も調べてみるというのが近道だったりするので調べてみたところ、日本語訳を担当した人物が小さい頃からキャッチーな歌詞を書き出していたという人物で、確かに邦訳はキャッチーではあり、更に所々韻を踏んでるのは凄いと思うのだけれど、こちらからすると語尾に”ハセヨ”とかは典型的なマイクロアグレッションであり、当時も”ん?”とひっかかった覚えがあったなと。
とはいえ売れたし、ポジティブな反応もあったので”ま、まあいいか”と放置していたような。
てか日本リリースが2010年10月で、その4か月後に東日本大震災があり、原発不安からなぜかコリアンバッシングに転換した時期でもあったよなあと。
思えばあの頃から元パートナーのネトウヨ化も始まったりして、とか諸々の記憶を、なんというか、炊き上げ供養してた昨日でした。
しかしまあ少女時代以降、日本での韓国の音楽界隈をも商品化して消費する傾向が顕著になったよなー、と。
日本での”韓国”の商品化、と言おうとしたけれど、考えてみればそのちょっと前からドラマと映画は商品化されて消費されていたし、その前には食品や売春が商品だった。
もっと言うと植民地という、土地も人もコモディティにしてたわけで、文化盗用どころか、まるまる盗用してたわけだ。
そしてリスペクトはせずなんなれば蔑みながらそれでも消費する、というスタイルはずーっと続いている。