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昨日今日あたり、少女時代の歌の日本語バージョンの"めっちゃめっちゃ気になるオッオッオッオッオー"という一節が脳内ループして困ってます

ミャンマーの森林僧院に初めて滞在させて頂いた際、5週目あたりでバッキバキにいい状態になったもののそこから集中力が落ちてしまい。
なんとか取り戻そうとウンウンやってた際にビートたけしと松方弘樹の"いまはまだ一人で待ってて"という歌詞が脳内ループして困ったことがあったのを思い出した。

"じこまん"というオッサンがロードバイク乗ったらハマっちゃいました、という漫画があったのだけれど、その一コマに、自転車乗ってしばらくすると脳内音楽がかかり、自分が好きな曲ならばいいのだが選ぶことができず勝手に選曲されるので"そうラーイジーングサーン"というループが流れたときには泣きながら「ヤメテー」と叫んだ、みたいのがあったなと。

こういう脳内ループの解消法は曲を丸々聞いてみるとか歌詞も調べてみるというのが近道だったりするので調べてみたところ、日本語訳を担当した人物が小さい頃からキャッチーな歌詞を書き出していたという人物で、確かに邦訳はキャッチーではあり、更に所々韻を踏んでるのは凄いと思うのだけれど、こちらからすると語尾に”ハセヨ”とかは典型的なマイクロアグレッションであり、当時も”ん?”とひっかかった覚えがあったなと。
とはいえ売れたし、ポジティブな反応もあったので”ま、まあいいか”と放置していたような。

てか日本リリースが2010年10月で、その4か月後に東日本大震災があり、原発不安からなぜかコリアンバッシングに転換した時期でもあったよなあと。
思えばあの頃から元パートナーのネトウヨ化も始まったりして、とか諸々の記憶を、なんというか、炊き上げ供養してた昨日でした。

その当時のパートナーをネトウヨ化するのを放置してしまったというのは、責任、ではないにしろ、当時から今のように反差別とかの知識があれば何らかの働きかけができたのかもしれず、違った結果にはなってたのかな、とか。
とはいえそうなってればそうなってたでミャンマーに仏道修行に行ける事もなかったし、まあ塞翁が馬というかなんというか。

しかしまあ少女時代以降、日本での韓国の音楽界隈をも商品化して消費する傾向が顕著になったよなー、と。
日本での”韓国”の商品化、と言おうとしたけれど、考えてみればそのちょっと前からドラマと映画は商品化されて消費されていたし、その前には食品や売春が商品だった。
もっと言うと植民地という、土地も人もコモディティにしてたわけで、文化盗用どころか、まるまる盗用してたわけだ。
そしてリスペクトはせずなんなれば蔑みながらそれでも消費する、というスタイルはずーっと続いている。

心をきれいにしましょう、と慈悲の瞑想とかヴィパッサナー瞑想とか勧める日本のテーラワーダ関連もマイクロアグレッサーがデフォルトだからな。
それでいて自分は瞑想して心が奇麗になった気になっていい人になった気がしつつ差別心や優越感を温存してるんだから目も当てられない。
スピリチュアル系になるともっとひどくて、温存した差別心や優越感を「ありのままの私でいい」とかクソみたいな自己肯定までしちゃうのだから、もうねえ。

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