『私は貝になりたい』―― 戦後日本人の被害者意識を正当化した「不朽の名作」
https://vergil.hateblo.jp/entry/2020/07/22/130347
”命令に逆らえず捕虜の腕を刺しただけなのに死刑にされた架空の主人公の運命に涙していれば、自分たちが中国への侵略戦争を熱狂的に支持し、南京陥落時には提灯行列に繰り出して大騒ぎしたことや、出征先の中国や東南アジアで「命令に逆らえず」手を汚した行為のことなど忘れていられる。このドラマは、誰からも責任を問われることのない被害者でいたいという願望を満たしてくれるからこそ多くの日本人に支持され、名作と讃えられたのだ。
確かにBC級戦犯裁判には様々な問題があったが、これで最も理不尽な目に遭わされたのは、日本軍に利用され、捕虜収容所の監視員として送り込まれた結果捕虜たちの恨みを買い、戦犯として裁かれた朝鮮人や台湾人の軍属たちだろう”
”『私は貝になりたい』という物語で主人公になるべきだったのは、架空の日本人理髪店主などではなく、日本軍のために捕虜監視員として使役され、戦後はその責任をすべて負わされて処刑されていった朝鮮人や台湾人の青年たちだろう。彼らを主人公にした物語を作るどころか、嘘だらけのドラマを観て被害者意識に酔っていた日本人は、自らの責任に向き合えない弱さと卑怯さを恥じるべきだ”
”イさんは告訴していた捕虜が死刑までは望まないとしたことで、懲役刑に減刑になり巣鴨プリズンに、そのとき初めて日本の土を踏んだ。
1952年のサンフランシスコ講話条約が発効とともに植民地出身者は日本国籍を失う。それでも「日本軍の戦犯」として刑の執行は続いた、釈放されたのは終戦の11年後だった。その後も苦難が続く。日本になんのつてもなかったが、韓国に戻ることができなかった。
「いの一番に家に帰って親孝行をしたいと思った。だけど”日本のために尽くした親日派”そして悪いことをして戦犯となったということで、韓国では村八分となって大変です」
金も仕事もなく生活は困窮した。日本人には軍人恩給などの措置に対し、日本国籍でなくなったことを理由に植民地出身者に同等の補償を受けられなかった。仲間にはつらい状況に耐えかねて自殺する人もいた。イさんが綴った手記にはこう書かれている。「都合のいいときは日本人、都合の悪いときは”朝鮮人”である」”