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ヤスミン・アフマド監督の『タレンタイム』の上映権が切れるということで7年ぶりに観た

本日の同語反復 

はじめてのビギナー入門

かわらべ さんがブースト

グレーバーは『官僚制のユートピア』で「ゲーム」と「プレイ」の違いについてつぎのように書いているゾイ 

急に中沢新一みたいな話だがバグがおもしろいのはバグと戯れることがゲームの規則からはみ出すことだからなんだろう(ゲーム/プレイという枠組みは、インプロヴィゼーション/フリーインプロヴィゼーションのちがいの話にも転用可能だとおもう)

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グレーバーは『官僚制のユートピア』で「ゲーム」と「プレイ」の違いについてつぎのように書いているゾイ 

ゲームは「純粋に規則に支配された行為」であり現実とは違い「あいまいさのすべて一掃された状況」かつ「規則にしたがうことで勝利することすらできる」。だからこそわたしたちは「快楽の源泉」としてゲームに「自発的に従属する」(わたしたちが官僚制の形成するゲームを愛しているのはそのため)。
一方でプレイは「規則の存在を含意しているわけではない。プレイは純粋に即興的なものでとありうる」(だから官僚制の魅力の背後にはプレイへの恐怖がある)。しかし「ひたすらランダムであるようなプレイはすぐに退屈になる」ため「プレイはすくなくとも暗黙の規則を不可避に生み出す」。

カルタイ、毛利嘉孝さんがかかわっていてこんなことになるんか? と思ったらどうも毛利さんの手はいつのまにか離れているようだ(わたしの毛利嘉孝さんへの信頼はあつい、わたしなぞの信頼なんて吹けば飛ぶようなものですが)

「研究者やライターは、そのアンダーグラウンドな文化を「書く(=地上に引き上げる)」ことで何が起こるのか、いつも想像力を働かせておくべきだ。特に「抵抗」の文脈が背景にある音楽の場合、それを地上に取り出すことでどのような要素がスポイルされてしまうか。また、不均衡が生じていることも決して忘れてはならない。「書く」側には原稿料が出たり、書いたものを成果として職やポストを得たりするが、「書かれる」側は、アンダーグラウンドにいるからこそ、それで飯を食ってはいないのだ」

yamamotokanako.hatenablog.com/

「地域福祉と盆踊りって同じなのか!!!???」(cf. アゲ太郎)ということで職場の人に呼びかけて地域のオリジナル音頭をつくることになった 現在メンバー8名、公私混同している

Bill Frisellがソニーの青い方のモニターヘッドホンを自宅で使ってたのでこれなら間違いないと思い使っている

『その男、凶暴につき』『3-4X10月』を観た

カフェで流れていてめちゃくちゃいいなと思ったんだけど、この手の音楽はどういう名前でくくられているのかわからないので調べるのが難しい
open.spotify.com/track/74asX95

経緯に重点をおくのは学部のときの先生が思想史の人だったからなんだろうな、思想史は納得のいく経緯を描くもの、という感じがする……

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修士論文を書いてるときにも思ったけど、なにかの「事件」があってその経緯を書く場合、どこを起点にするかというのが難しく、大友さんがいわき市の学校の校歌をつくっていることの経緯を考えても、福島育ちであることからはじめるのか、東日本大震災後の福島での活動からか、あまちゃんからか、だれから依頼を受けたかで書くかでだいぶボリュームが変わってくる(のである)

かわらべ さんがブースト

「荷物をのせるとはしるでスー」を買いましたでスー

かわらべ さんがブースト

いわき市立三和小・中学校の校歌について、作曲家・大友良英(おおとも よしひで)氏が作曲することになった経緯についてわかる資料はあるか。(いわき市立いわき総合図書館)
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000354511
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