おだやかではないが、しずかにバッドに入っているのは確かであるということ|kawaraberei
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言論のアリーナ論ざっくりとしか知らないけど、そもそも本の出版を社会的な帰結を持つ社会実践ではなく、単に知とか言説とかとのみ捉えるのがあまりに特権的な立場からの物言いだと感じます。
いままさに食事が得られなくて困っているひとがいるときに、「食事が豊かすぎる日本 炊き出しの罪悪」みたいな本が出て「これは面白い」と注目されたりしたら、それって意見を戦わせるとかどうとかの話じゃなくて、「いま飢えている人々を無視してそんな本の話に行かないでほしい」という問題だし、そんな本を相手に自分自身は余裕のあるひとたちがのほほんと「アリーナ」をしているあいだにも、刻一刻とますます飢えていくひとがいるという話ですよね。そして、その「アリーナ」のなかでその本がまともな選手として取り上げられることで、それを役所の人間とかが読んだらますます食事が得にくくなるといった実生活上の危機の問題でもある。
人間は体を持ち、食事をし、病気や怪我をし、どこかで寝起きし、という存在なのであって、そしてそのレベルでの最低限のニーズは満たされないと言説どころではないわけで、そんな体を持つ存在を「言論」なんかに還元してしまえるのは、自分自身が最低限のニーズを満たされなくなる可能性に直面していないひとくらいだと思う。
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