今日のNot-Got第二部解釈
第八章 宗教思想史の文脈で(P316)引用
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人間であることはまず神ではないこと、全能の存在でもなく、絶対的に自律の存在でもないこと。アルコール依存症の(alcoholic)と言う語はそこに「罪」があることを示し、それは終わりのない状態であることを示し、また少なくともそれが人類に与えられたものであることを示していた。この「罪」の状態とは、究極的な実在から本質において切り離されてしまっている状態を示し、その「罪」のもっとも破壊的なふるまいは、切り離されてしまっているという事実を否認してしまうことだった。このような否認は、ますます自己中心的になることによって、自己破壊を招いてしまう。なぜなら、自分自身が究極的実在であるかのようにふるまうものこそが、究極的な疎外に苦しむからだ。
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本日エメットフォックス著「山上の垂訓」読了
以下引用
問題に注意を向けられると、私たちは必然的に、誠意と真実をもって敵を赦すか、二度とこの祈りを繰り返さないかのどちらかにせざるを得なくなるように、この祈りを工夫されたのです。これを読んで理解した人は、赦さない限り、そして赦すまでは、二度と主の祈りを使うことはできないと言ってよいでしょう。もしあなたが今、赦さずにこの祈りを繰り返そうとするなら、最後までやり遂げることはできないだろうと予測できます。この偉大な中央の節はあなたの喉に突き刺さることでしょう。
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ただ、祈ればイイって思っていた私が吹き飛んだ一説。
昨日のミーティングで「行動って何だろう?」という問いが出たけど、これだろうね。言ってもわかんないだろうけど。
キーボードを全く見ないようにするキーボード養成ギプスなる事を知って、ギプスまではしなくても
見ないぞ!と決心してトライしたら緊張と打ち間違いの「ぴっぴっ」となる間違い音に焦って散々たる結果に。
すでに癖が付いていることに震えながら、どんな結果でもやり続けなければ。
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YouTube見ながら...。
不毛の地へ突っ込む相棒にぴったりのプレゼントを思いついた。
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