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本日エメットフォックス著「山上の垂訓」読了

以下引用

問題に注意を向けられると、私たちは必然的に、誠意と真実をもって敵を赦すか、二度とこの祈りを繰り返さないかのどちらかにせざるを得なくなるように、この祈りを工夫されたのです。これを読んで理解した人は、赦さない限り、そして赦すまでは、二度と主の祈りを使うことはできないと言ってよいでしょう。もしあなたが今、赦さずにこの祈りを繰り返そうとするなら、最後までやり遂げることはできないだろうと予測できます。この偉大な中央の節はあなたの喉に突き刺さることでしょう。
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ただ、祈ればイイって思っていた私が吹き飛んだ一説。

昨日のミーティングで「行動って何だろう?」という問いが出たけど、これだろうね。言ってもわかんないだろうけど。

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