今日のNot-Got第二部解釈
第八章 宗教思想史の文脈で(P316)引用
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人間であることはまず神ではないこと、全能の存在でもなく、絶対的に自律の存在でもないこと。アルコール依存症の(alcoholic)と言う語はそこに「罪」があることを示し、それは終わりのない状態であることを示し、また少なくともそれが人類に与えられたものであることを示していた。この「罪」の状態とは、究極的な実在から本質において切り離されてしまっている状態を示し、その「罪」のもっとも破壊的なふるまいは、切り離されてしまっているという事実を否認してしまうことだった。このような否認は、ますます自己中心的になることによって、自己破壊を招いてしまう。なぜなら、自分自身が究極的実在であるかのようにふるまうものこそが、究極的な疎外に苦しむからだ。
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フォロー

「山上の垂訓」エメットフォックス著
引用
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罪とは神からの分離であり、人間の経験の大きな悲劇である。

私たちの真の姿は神と一体であり、神から切り離されて
おらず、神の考えを表現し、神の本質その心の動的思考を目撃しているのです。私たちはすべて、私たちが霊的に一部である偉大な全体と一つであるため、私たちはすべての人と一つであるということになります。私たちが彼の中で生き、動き、存在するというだけで、絶対的な意味で、私たちは本質的にすべて一つなのです。
ーーーーーーーーーーーー [参照]

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