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あと、ブックオフは地域格差が露骨に反映されるし、居住地域に店舗数が少なかったら、新刊書店と比べると古書店もブックオフも同じように「商品が入れ替わらず澱んでいる」感がかなり強くなるはず。

古書店なら古書業者間の売買でつねに仕入れをやるとそれを防げる(それを怠るとあっという間に「いつも同じものが置いてある店」になる)のだが、ブックオフはそこをどうしてるのか。客が売りにくる一択で本当に対応してるのか?という疑問もある。

私はこの種の肯定論は特に否定するつもりはなくて、さらに問いが先鋭化されるのを想定してたんだけど、その期待は叶わなかった。

00-10年代ぐらいだとブックオフは「少し古い本〜あきらかに20年くらい古い漫画とか文庫」がある場所だったが、ブックオフの商品は5年10年刻みで見た場合、風景は変化しているはずだろうとか、

ブックスキャンサービスや図書館蔵書処分などがあからさまに可視化されている現状では、小田のブックオフへの商品廃棄的な疑念は響かず、書籍が廃棄処分されるタイムスケールとエコシステムは、今では現状では、新刊書店・古書店・新古書店・図書館・断裁スキャンなどの複合体から位置付け直さないといけないとか、大昔のものではなくても平成初期の雑誌などが実は図書館から廃棄されている現状があるので、いろんなスコープで考えた方がいいとか、

そもそも古書店やブックオフは、売れ残りの処分の期間設定をどうしてるのか?とか

80-90年代までは書店には「無限に立ち読みできる漫画および漫画雑誌」があったが、商品のシュリンクによってもはやその環境が失われたところに、ブックオフの棚で大きな割合を示すマンガ・文庫・新書が後継機能を占めている(ゆえに雑誌感覚もかなり後退した)とか、

まだまだ練ることができる問いはたくさんあるはず

こういう系統の本はたしかに無かったわけで、ゲームチェンジャーとしての意義が大きいんだろう。入れ替わった世代感覚を反映させるタイミング。

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小田光雄のこの種のトーンは私も懐古老人の手癖でひでーなと思ってたから、谷頭が仮想敵に据えるのはわかるなー。佐野眞一の『誰か本を殺すのか』とかも似たようなレベルだが。本書のモチベの何割かは小田へのカウンターだろう。

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「こういうのもないよりはある方がずっと良い」とは思うので、妙に力を入れて批判する気にはなれない。「私ならこういうアングルで簡やるかなー」と案や考えを素描して、アンサーとするのが一番良さそう。

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あ、ブックオフ巡りが趣味の人として、とみさわ昭仁を召喚したのはおもろい

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谷頭のブックオフ本、悪質な主張をしてるわけではないので怒りは湧かないけれども、あまりにもイマイチかな…

いまや青年誌は、そうした拙い関心や差別的で無造作な「考えてみた」トライアルが歯止めなく垂れ流される場所になりつつあって、単にだらしないテンプレや露悪、アウトロー秩序の称賛に帰するにとどまることが多い。

『監獄学園』がひねった工夫にすら見えてくる状態。

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『王の病室』が「これ読んでみて!」式にもてはやされてしまうのは、ウェブでは「社会問題への関心形成」の経路がものすごく貧しいかたちでしか成立してないとか、そんな枠組みでまとまるのかなあ…。

これなー。石川県の前田家崇敬って、植民者を崇めるものなんだよな。

"日本人は面白い。旧ソ連邦の70年を越える100年の歴史を持つ、世界史でも稀な加賀一揆の農民自治コミューンより、それを弾圧した織田信長の「全国統一」を有り難がるのである。"

twitter.com/bjogu5f4dgucgwn/st

我が名は、帰宅すると時間を有効活用できない丸…。今日も気付けば24:00になってしまった。

異世界おじさんは、ポルノ構造は普通だがセガネタが異質で、ハイブリッドゆえに勝利してるケースだから、比較するのが難しいか。

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たぶん、願望充足を早めに達成させないといけないから、複雑化に対する抑止が生まれて、工夫しようがなくなるんだろうな。『異世界おじさん』がかなりレアな達成になる(捻りまくりの作例)

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悪役令嬢ものにせよ婚約破棄ものにせよ女中お世話ものにせよ、男性向けハーレムものにせよ、ロマンスとポルノのあいだにまたがるグラデーションを足場に作られる作品って、どうにも限界があるよね。一定のコテコテから出られない。
あの系統には「回路が最初から露見してて、しかも実際にその予見の範囲内で終わる」感触がある。

小泉義之の衒学的なイキりっぽい技って、やっとわかったが、ドゥルーズガタリからの誤学習だな。ドゥルーズガタリにおける、参照し踏まえた知の開示が暗号的になる側面を、よりダメなかたちで踏襲した

しりあがり寿と吉田戦車はだいたい90年代頭から半ばに目立ちはじめ、その後20年かけて地位を上げたわけだが(吉田は新聞4コマをやるまでに至った)こういった青年誌出身作家ってもう00年代後半からは生まれなくなってるんだな。

三浦健太郎がここでも分岐点を印づける作家か。00年代におけるヤンジャンの変容と青年誌秩序におけるヤンジャンの基準媒体化によって、しりあがりみたいなのはもう生まれなくなった

井辻朱美は、保守的ファンタジーファンの範囲でしか発言しねーなあと思った。 ここで、パトリス・シェロー&ブーレーズにおけるワーグナーに相当するのがラグーラバルトか?と。

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