過去の保存・歴史化という局面でおもろいのは、カント的無関心を、過去の歴史をミイラとして晒す手口みたいに語ってるところ。「キャンセル(過去の文化史からの抹消)ではなく晒し首として残す」という筋立てに転用できそう。カントの判断力批判の一節を引いて、無関心性を宮殿を王侯貴族のものではなく形式的に見ることとしているんだけど、じゃあ脱政治化なのかというと、王族的なものをより徹底したかたちで殺す手口であり、フランス革命の所産なのだ、とする。こういうふうに脱政治性の政治性を考える。
モダニズムが終わって芸術と権力の時代に逆戻り、の時代にあって、モダニズム的無関心性を政治的ポテンシャルとして再読してるようなのがおもろい。こういうグロイスの面白さってロシア学の連中もあんまりピンときてなさそう。
先日はグロイス『流れのなかで』第三章「アートアクティビズムについて」を読んだ。
モダニズム以前のアートを宗教と権力を縁取る美的なデザイン、モダニズム以降をカント的無関心性に集約して、その両極がアートアクティビズムに渦巻いている、がゆえにポテンシャルもあるかもね、という論。無関心は一見して脱政治性の根拠だが、もう一度捻る。
その前の2章と共通して「ベンヤミンが愛読されたのはユーロコミュニズム論壇であって、今見ると耐用年数すぎてね?」っぽい見立てがある。ついでにトロツキーもけっこうまずいのでは?という留保がうかがえる。ユダヤ枠で一括してるのかもしれない。
@promenade11 手すりの縦の影とブロックの対角線が一致…!とか細かいチェックをやっていたと推測
やはりルーリードからひっくり返す技が生まれたな。
"『Perfect Days』を非実在おじさんの上質ルーティン映画だと断じて考えをやめてしまう人には、デイブ・スチュワートがルー・リードの「Perfect Day」について語った次の言葉を捧げるのがいいだろう。
「この曲の怖いところは、実はおそろしい状況が謳われている、と次第にわかる点にある。きれいな曲なのに、背後ではディズニーランドと闇の国がとけあっているというわけだ」"
https://twitter.com/shibasakiyuji/status/1769901279864930731?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
brotherのカラーレーザープリンター買ったお
よくまとまってる。
本の小口の黄ばみ・シミの除去から、ページがノドから脱落した時につかう糊の種類まで。
本や漫画の黄ばみを取るのは意外と簡単! 表紙・製本傷みの修復方法をまとめて解説
そりゃそうだなとなる。
“「正反対な君と僕」は「オタクに優しいギャル」をギャル視点から書いたもの、と阿賀沢先生がインタビューで話していて、そういうことだったのかー、となった。”
https://twitter.com/sakeschi/status/1769676558728638542?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
全日本民医連が離婚後共同親権の導入に反対する声明を出してるよ〜と教えてもらった。
医療者として治療の場での意思決定における両親の合意が困難になるケースを危惧してのことのようだが、根底にあるものとして以下の部分には心の底から同意するものです。
>現行民法の表現は親等の子どもを養う側の視点にあるものが多い。「親権」という用語も同様で、本来の趣旨としては子どもが成長し、生きていくための権利を親が保護する義務であるにもかかわらず、現在は親の子どもに対する権限としての面が強調される傾向がある。
>全日本民医連は、「共同親権」の拙速な導入でなく、子どもの権利を基本に「親権」の在り方を見直しをはかることを求めるものである。
愛知県に「とこなめ陶の森」なんてところあるんだ。
https://twitter.com/dokurohigh/status/1768935389090419132?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
あまり書き物ができてない。