現状の社会におけるノンバイナリの認識って、「男、女」の二元論から「男、ノンバイナリ、女」の三元論になったに過ぎないよね
そりゃあ"二元"論からは脱した考えは(不十分ながら)広まりつつあるだろうけど、「ノンバイナリらしいノンバイナリ」という3つめの選択肢が増えたに過ぎないと感じるし、ジェンダーをスペクトラムとして捉えている私には全く不足しているように感じるよ
だから私は自分のことを単に「ノンバイナリ」と表現するのはしっくり来なくてずっと言葉を探していたし
「それでも二元論しかないよりはマシか」と思わざるを得ないのもまた苦々しい
体のトランジションが必要な人と比べて自分の悩みは些細だからわきまえるべきで悩むのもおこがましいと思っている節がめちゃくちゃある/あったけど、バイナリのトランスと比べてノンバイナリが矮小化されるべきでないのと同じように、で比較的可視化されつつあるAジェンダー的なノンバイナリと比べて、わたしのようなスペクトラム上曖昧な位置にいる人間の存在もまた矮小化されるべきではないか
第三者の視点として見ればすぐに気付けそうなことでも、自分のこととなると自己否定が邪魔をしてわからなくなるな