ノンバイナリについての記述を読む度に、自分の幼少からの経験を掘り起こして性規範とのズレを確認し(その時点でちょっとダルい)、それらを以てして「女らしくない女」でなくて「ノンバイナリ」であるという根拠や証拠や資格やらを自分に詰問し続けてしまってしんどい
いまTwitterやらで盛りあがっている最悪な「本物のトランスじゃなくて中二病」だとかいう「可能性の思考」を例に見ればわかるけど、明らかに私は私のジェンダーアイデンティティを社会に疑問視されるだろうし、それを予め自分が自分に行っている
自傷行為的だし精神衛生に良くないのはわかってるんだけど
今はたぶんドラマでも書籍でも「ノンバイナリ」というとAジェンダー的な狭義のノンバイナリが中心というかそれが全てのように語られている/表現されていることが多いね
デミジェンダーに関する日本語の書籍は、私の探す範囲では今のところ見つけられない(英語だとあった)
違和が大きくてトランジションが必要な人たちの苦労や苦悩は計り知れないけど、でも微熱でもこっちも風邪は風邪というか……
いや比べるもんじゃないけどね それぞれに特有の悩みがあるから
社会の中で透明化されるってこういう事なんだな……