→ 2000年代の前半から何のかのでネット上でやり取りのある斎藤さんや山口さんはご存知だけれども、私は田嶋さんが早くからテレビに出て「フェミニストをやる」役割を引き受けてくださったことをとてもエンパワリングだと感じた世代だし、そのことにについて田嶋さんにはずっと敬意を持ってきた。
ただそれでも当時からテレビでの田嶋さんのご発言の端々には「いやそれは強引でしょ」と思うこともあったし、大雑把すぎるし何なら適当すぎると感じることも多かった。そのふたつの評価は両立するはず。
で、私たちが田嶋さんから学ぶべきなのは、「スパッと小気味よく」の部分ではなくて、フェミニストなんてみっともないとか格好悪いとか古臭いとか散々言われていた時代にそういう評価に怯むことなく(少なくとも表立って怯んでいるようには見せずに)フェミニストであることを引き受け続けた姿勢の方ではないか、と個人的には思っている。
斉藤さんのこの感想、わかる部分ももちろんあるのだけれども、やっぱりこれは上手くない(少なくとも対面ではない形で情報が伝わっていく現代においてはこれは非常に危険が高い)というのが、私たちがこの10〜20年で痛感してきたことではないだろうか。
「短く切れ味鋭くスパッと」と思わせることで多くの人を魅了することはできるかもしれないけれども、とりわけ「多くの人」にとって「スパッと」直感的にはわかりにくい事柄(その代表的なものに「マイノリティ」に関わる問題があるだろう)については、「切れ味鋭くスパッと」はしばしば保守的な感覚の吐露により有利に働く。
🐦 RT 斉藤正美 @msmsaito
田嶋陽子さんは、短くスパッと物事の本質を指摘する名手だ。
だから何十年もメディアの最前線に残っておられるのだと思う。
昨日の82歳のお誕生日コンサートでも、歌の合間のトークが切れ味鋭った。
短く、切れ味鋭く伝えないと、多くの人には伝わらないということをおっしゃっていたのだと受け止めた
https://twitter.com/msmsaito/status/1644906376202969093?s=20
すごいな。notestock。ツイッター取り込みにも対応。
日記: notestock機能追加(Twitterアーカイブの取り込み機能)
https://diary.osa-p.net/2023/04/notestocktwitter.html
反共の人に対しては何となくまあ公約の話をすればまあ…と思うけど 自公が嫌だから維新にってなってる人には何と言っていいやらで 野党じゃないですよ→??野党じゃん になってしまうし 新自由主義は自己責任論ですよって言っても自己責任論に嫌悪感持ってない人がほとんどだから ウーン…
誤った判断や態度の人や他者の意見を都合よく捻じ曲げてしまう人に「統失か!」とか「幻聴がきこえるなら病院へ行け!」とか、SNSだと本当に多くて、左派やリベラルを自称している人でも結構いる。「電波か!」とかね。
その人等は、本当に心配して医療にかかるのを薦めているのではなく、悪魔化して排除したい差別心から発言しているんですよね。障害を名指すことが侮蔑を表すのだとしっかり理解して使っているのです……。で、言われた方は「そんな障害”なんか”じゃない」とか言ってまた新たに当事者を踏みつける……。暴力の連鎖です。
私達も普通に隣りにいますよ、と。
そんなことも思い出しました。
>結論から言おう。気候の温暖化と真剣に闘うつもりなら、徹底的な富の再分配を、一国のなかでも、国家間でもしなければならないということだ。これに反論する人は、地球全体にウソをついている。
温暖化との闘いは「超富裕層の資産と収入」を大幅に削減することから始まる | トマ・ピケティ「新しい“眼”で世界を見よう」 | クーリエ・ジャポン https://courrier.jp/columns/308109/
漫画を描いていたような気がする
https://privatter.me/user/tomo-ipp
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