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あと言いたいことメモ
贈与の文化は地域によって違うでしょ
私もどこかの地域に属しているので何かしらの贈与文化の影響を受けているけれど
それとは違った己だけの贈与の文化も持ってるでしょ
その上で相手にも相手の贈与の文化があって
その辺のすり合わせ方を悩んでいる時々

単に「目の上に線がないから一重だ!」ってのは腑に落ちないことも多いけど、スプラのフウカちゃんは「こういうお目目が可愛い!可愛い!素敵だ!可愛い!」っていう気持ちを感じるので好きだ
別に、「一重は細くて切長なのがいい(≒褒めるところがそこしかない)」とかではなく…
日本語伝わってる?ちょっと休憩

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それこそ、実写「岸辺露伴は動かない」は別に高橋さんと露伴の顔も似てないし、衣装も突き詰めれば全然違うけど、「雰囲気」は完全に一致してる。ドラマの構成要素、高橋さんのセリフ動きは全て「マンガの岸辺露伴に全く同じ」ではないけど、「露伴を三次元の世界に連れてきて」「面白いドラマとして」演出するなら全てが良いと思う。
そういうことだもんね。なんならその方が演技力とかの振るい方も面白いし

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最近最近だと、キャラが二重かどうかとかもなんじゃろかな?ってなる
イラスト描く時の目の上のチョン…ってした線を「二重の線」だと思って描いたことない。個人的には線画の情報量が増えてラッキーぐらいにしか思ってない。ツリ目タレ目、パッチリ目細い目とかはあるけど二次元のキャラクターに「一重か二重か」を当てはめたことがない
まあ、二重ばかりが「可愛いもの」であるという残念ながら風潮に無意識に乗り続けているだけかもしれないけど…意図して一重を選んでるキャラはすごく好きだよ、スプラの子とか。

漫画アニメ作品の実写化の話題だと必ず「似ているかどうか」が出るけど、(創作の意思→)漫画アニメ→実写化作品という翻訳過程に「ビジュアルの異常な忠実さ」は全く必要ないと思う
それで最近の「黒い肌のアリエル」とか「すべての人種に当てはまるルパン」とかの話題見てるとなんじゃろかな〜難し!ってなる。

ゼリーが食べたい
明日の夜は散歩に行くのもいいかもしれない。橋まで歩きたい。重くない靴がいい。

やりたいことをこうやって書いておかなければ忘れそう

ちゃんとティーポットで淹れた美味しい紅茶を飲みたい。できればお砂糖を溶かしたい、金か銀の細いスプーンで

生きている人間をキャラ化されることにものすごく抵抗が出てきて、世間様で生きるのもなかなか難儀になってきたねぇ
私自身は私のキャラの切り売りなんだけれど

「びじゅちゅーんって知ってますか?」って訊ねたら「分かるよ!ゲイの人が作ってる動画でしょ!」って言われてびっくりした。知らなかったそんなこと。知る必要も全くなかった。「びじゅちゅーん」と「作者がゲイ」一個も関係なかった。他人をセクシュアリティとか性的指向とかなんかそんなので呼ぶんだ。びっくり。一個も関係なかった。
なんか慣れてきていたのと、その人がとても優しい人だったから、久々にちょっとびっくりした。優しいことと、その辺に意識があることは別の話なんだった。

銀行に用をしに行ったら、いつもあまり通らない道なので向こうの方に橋が架かってるのに気付いたよ😶
渡ってみたい!徒歩で行くには遠いかなぁ。でもこのぐらいの気温の夜だったらお散歩すれば気持ちいいんだろうけど

椅子がちと低いので、フライパンの中を覗こうとしたら私もちょっと腰を浮かせてふくらまなければならん
いいじゃん上手に焼けてる気がする。無糖のヨーグルトかけたら美味しいかな:abloblurk:

あと3枚ぐらいは焼かないといけなさそう
あと3回は「むむむ…」が見れる。割と適当な分量だけど背伸びするみたいに膨らむいい生地ですぜ。

ホットケーキを焼き始めたら思ったよりも時間がかかっている
寝る時間が来ているが不思議と焦りがない。椅子を引きずってきて、ホットケーキが「むむむ…」って膨らむのを眺めることにする

妄想力の調子が良くなってしまったので、昨夜は夢の中で夜釣りに行った。楽しかった
今夜もどこかに行くと思う

大きなポポラスリーフの切り枝を見た。丸いユーカリの葉っぱは擦れるとしゃわしゃわ言うところがいい。家に木漏れ日が欲しいけど、あんなに大きな木は置けないので木漏れ日の柄の傘買うかちょっと迷う
家の中で傘差したらなんかすごく面白いと思う

結局、勉強することも「勉強することは親から怒られることではないから」じゃないのか、とか、クラシックや純文学を好むことも「権威に縋っているのではないか」とか思う
何かを好きでいることって難しい

おしゃれなカフェに行ったり、素敵なスポットを訪ねたり、ネイルをしたり香水を買ったりすることは、確かに心を軽くしてくれることのはずなのに、「単にそれをすれば心が軽くなると決まっているから」とか「人はみなそうしているから」とか「そうすることが世間一般的であるから」、そうしているんじゃないか己が信用ならない。
本当に「自分がしたいこと」をしたい。
でも「流行に乗っかるのでもいいから一度やってみる」が大事なのも分かる。
なんとなく軽薄だ人生が

疲れることがあったから、意識を飛ばすために全然違うことを考えている

ふと思い出したけど、ジブリの「思い出のマーニー」、あれまあまあ好きなところもあるんだけど、この前金ローで見て「これ、視聴者に伝わる?」って不安になった。それは杏奈やマーニーが己の環境を苦痛だという時の理由付けが視聴者を納得させられるものではなさそうだからなんだけど、アレが私は結構好きだったりする。子ども本人の視点からすると「ばあやが髪を酷く梳くこと」も「優しい養母だけど、自治体から補助金をもらっていること」もとても重いことで、そのことを受けて苦しみを感じているということだけが問題になっている。結構いごこちがいい気はする。そういう受容がされるなら、私も心地よく受容してもらえる感じがある。面白いね

好きじゃねぇなぁってか、「そんなことをされると、自分がやりにくいからやめてくれよ」って感じ
でもその感覚があながち間違いではないとは思うけど…

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Fedibird

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