長いのとちょっと過激?
今日聞いて面白いなと思った事、覚えてるうちに書き出しておく。
世の中では、徳とか善(virtue)を「弱さ」と考える事がまま見られる。それは、例えば社会主義革命において地位が下である(力が弱い)労働者階級が「善」で地位が強い(力を持つ)人間が悪であると考えたりする事。でも実際、そういう人たちが力を持った途端に悪事を働くことがある(ソ連とかね)。他にも、被差別階級が力を持った途端に差別をしたり。これはどういう事かというと、単に「悪事を働くだけの力がないだけで、善人では無かった」という事(not harmではなくcan’t harmなだけだったという事)。(ここからはあまり同意はしてないが)つまり、まず初めに力を持って、その上で力をコントロールして人をharmしない人間が真に善である(virtuousである)という考えがあるらしい。
自分としては、強くある必要があるのかはわからないが、「can’t harmな人が善人ではない」というのは、マジでそれな、と思った。
つれづれなるままに
@hidao 自分も基本的には絶対善はないという立場です(あくまで個人がその人の視点で決めること、という立場です(荘子に影響受けまくってます))。確かに、かなりそれは腑に落ちます!
そう思うと、啓蒙的な立場で(=自己をより高めようとする立場で)、各々の考える「善人」になるには最低限、外圧に耐えれるだけの力は付けないと善人にはなれないと考えられますね(ある意味でこれもマッチョな思想と言えますが....)