夢枕獏の陰陽師、前回の映画化が若干サイキックバトル寄りで原作の雰囲気が弱くて残念だったので今回どうなるかと思ったけど、輪をかけて派手なサイキックバトル映画っぽくて辛い。「呪術、激突」ってコピーの時点で印象が真逆と言うか、むしろ激突しないで受け流すのが夢枕獏の清明なのに……なんかもっと地味で生活感のあるリアルな平安世界の中にこっそり呪が混ざってくる程度の、「それもまた呪か」という博雅の台詞にふふんと笑う軽やかで重たい清明が観たい。
書店の在庫を検索できるアプリ「honto with」、開始10周年を目前に5月末でサービス終了【やじうまWatch】║INTERNET Watch
https://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1585245.html
「依存は心の松葉杖」とも言い、たとえばゲームとかのように直ちに取り上げなければならないほどのものでないのなら、少しづつ依存できる対象を増やしつつ、根本的な原因となっている傷を癒やしつつ、依存を弱めて行けば良い。
しかしこういった暴力的なものや盗撮や万引などの略奪的なものについてはそういうわけにも行かんわけで、とりあえず医師に相談って感じか。
しかし、DV における加害が命綱になるのならば、それが子や配偶者に逃げられてしまった元加害者の共同親権の法制化などへの執着の背景にあるのだろう。
そしてこういった人々が持ち出す理屈が、自身のDVを問題にされることを回避するように、家族の形のようなものが持ち出される、論点がずらされているということは既視感がある。「表現の自由」とかね。
最近になって「アファンタジア」という症例(心のなかで視覚イメージをまったく形成できない認知傾向)の存在を知り、いま読んでる本にもはからずその話が出てきたのでいろいろググってみると、アファンタジア研究情報サイトというのが出てきた。視覚イメージ形成能力チェックとかもある。私は41点だったが、しかしみなさん、「心の目」でどれくらい鮮明なイメージが見えるもんなんだろ。私はだいたいうすぼんやりしている
https://aphantasia-jp.com/
表現の自由がなぜ大切なのかといえば、それが民主主義の原則であるからだ。誰もが意見を述べ政治に参加することを保障するためだ。
この原則を見失うと、被差別者を抑圧する様な言説を「表現の自由だ」と言って正当化するようなやからが蔓延ってしまう。
被差別者を抑圧する様な言説こそが、被差別者の発言権を弱め、被差別者の表現の自由を奪っているということに気づかなければいけない。表現の自由の原理は、より立場の弱いものが安心して発言できる場の保証として機能しなければ意味がない。
いきもの好き。まれにお絵描きします。
鳥や犬、時々虫の写真、そして掌編小説などをBTしがちです。
本や映画のタイトルを書いて伏せてある投稿は何も配慮せず感想を書いてますので、ネタバレが苦手な方はお気をつけください。