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マストドンに来たばかりのとき、わたしはTwitter黎明期の頃に津田大介氏が言っていた「とりあえず100人をフォローして、100個つぶやけば面白さが分かってくる」を実践していました。

少しずつTLに流れてくる言葉が増えてきて、今とても居心地良く楽しんでいます。1からSNSを育てるやり方を忘れつつあるとき、1つの例としてお試しいただけたらと思います。

寒いし確定申告でつらい2月だけど、3月になればマンダロリアンが来てくれると思うとちょっぴりだけ頑張れそうだよ。ぱやぱや頭の緑の赤ちゃん。非情に振る舞おうとしても、優しいことをどうしても隠しきれないお父さん。

もう何年もsunny手帳を使っていて、それに満足していたけれど、新しい手帳にわくわくするのって大好き。偶然ハンズで安くなっていて手に取ったジブン手帳daysがわりと、自分が生活の記録を取りたい気持ちと、求める使い心地にフィットしていて、嬉しくなってしまいました。少しだけでも日々をなめらかに過ごせるといいな。

調べたところ、こうもりは一般人は保護することも何もできない(もちろん駆除もだめです。勝手な移動もだめ。)生き物だから、そっと見守って元気を祈るしかないんですね。背中にベルベットのような、毛が生えてたのを見たよ。不思議生き物、元気でいてほしいな。

建物の廊下のすみっこで冬眠しているこうもりのことを、どうか誰にも見つからず春に元気に旅立てますように。と気にしながら生活していたんですが、冬のいっとう寒い日に居なくなっていたんです。寒すぎて目がさめちゃったかな。明け方、窓のあたりでキーキー聞こえた気がするんだけど、きみの声かな。こうもり、どうかこっそり暖かいところで生き延びて、あったかい春を迎えてね。

マストドン、手探りのままにずっと使っているけれど静かでしーんとしてて、絶対バズらないプラットフォームなので、何だか身体のすみずみまでとてもホッとします。私はここでは遠く星をちかちかするまでの弱いコミュニケーションを楽しみたいと思っています。ぼうっと流れてくる文字を読んだり、ほんのりした共感を示したり。誰かのおすすめの本を買ってみたり。そうやってあるかないかのか細い繋がりを楽しんでいた懐かしい気持ちになれます。

島本理生『夜はおしまい』

自分にとっての本当に読みたい島本理生でした。長らく作者は、性暴力にまつわるお話に短編長編どちらでも、取り組んでこられたと思うのですが、以前のお話はどこか薄紙に包まれたような、美しく修飾された印象があったのです。でもこちらは力強くきっぱりと暴力をただ暴力として描写されていて、卑近な暴力を冷徹に眼差す筆致と、遠く感じるかすかな連帯がとても良かった。

フォロワーさんがアフターピルのスイッチOCT化にまつわるパブコメをだしていたので、私も出してきました。(ありがとうございます。背中を押してもらえました)

悲しいニュースや、不安と孤独に震えながら時間を過ごす人が少しでも減るように、妊娠する可能性のある方が主体的に人生を選択できるように、処方箋なしで薬局でアフターピルが買えるようになりますように。提出期限は今日(1/31)の23:59までとのことでした。ふだんの言葉で、一言だけでも。個人情報は全て空白で提出できます。
public-comment.e-gov.go.jp/ser

ワクチンで、寝返りが打てなくなるくらいの腕の痛み、久しぶりでした。夜中にもぐりこんできた猫の毛のやわらかさが染み入るよう。しっぽをわたしの首の上に置いてマフラーの差し入れみたいにしてくれた。あったかくてふわふわで、ねこ優しいね。

同性婚ができるようになってほしいと心から思うし、同性婚すら出来ない国に子供産めとかちゃんちゃらおかしいね。ださくてやばい国にわざわざ人間増やしてあげたくないよ。

どんなに柔らかくて丁寧っぽいきれいごとを言ってようとも、作ってるひとがウーバーの配達人を汚いと思っていて、それを恥ずかしげもなく呟いてもいいとおもってる特権意識に無自覚なとこの手帳、わたしはいらんforeverなのだ。

ロフトでほぼ日手帳がズラーッと並んでるとこみると、not for meよりもう一段高いエマージェンシーランプちかちかする感覚になる。人様の手帳をみるのがずっと大好きだったけど、ほぼ日手帳だけは今はもう、屈託なく眺めることはできなくなってしまった。身近なお買い物は小さな投票だと思うので、買わない選択をし続けるよ。

あんまり寒くてチャイ淹れて飲んでました。ベランダ出たらまぼろしみたいに寒くて、冬冬冬だってうれしくなってしまった。寒いとうれしい。

Twitterだと無限に知らないひとから話しかけられる。なぜみんなそんなに知らないひとにリプライを送れるんだろう。私は、かなりお付き合いが長いひとにも、2回に一回は「やっぱりやめとこう」と怖気付いてしまうので、不思議に思う。そして、できれば話しかけられたくない。長くいいねを送り合ってきたひとと、ふと目があったみたいに言葉を送り合ったり、イヒヒとふざけたり、肩ポンするみたいなやりとりは好きだけれど。基本的には、鏡の反射光でちかちかするくらいの交信がいちばん落ち着くね。何を言いたいかってここではめったに誰も話しかけてこないので、本当に嬉しいです。

ほんとだよー。高齢者や、基礎疾患持ちの方も安心して外出できなくなってしまうよね。国が非道で辛い…

この記事を読むと、5類になる理由は、もともとはオミクロン株が落ち着いてきて、死亡率が下がってきた段階で検討したということだったけれど、今の第8波で中国が大変なことになり、国内もどんどん死亡者数が増えてきて、これじゃもうこの先いつ変えられるか分からないから今のうちに急いで5類にしよう!という流れのようなので、建前が崩壊しててやばいと思った。意見送りました。
nhk.or.jp/politics/articles/fe

私が間違えたとき、あなたは悪くないなんて絶対に絶対に言わないで、まだ聞いたことがない好きなものの話だけこっそり教えてくれた人がいたことを、この先も宝物のように思い出します。

文藝、読まねばの気持ちでいっぱいになりました。フォロワーさんの感想に誘発されて、何か買ったり読んだりすることをSNS元年のように今とても楽しんでいます。

たけのこスカーフ さんがブースト

『文藝』春季号

水上文さんの文芸季評の中で知ったのだけど、昨年ノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーが、フランスで主に男性批評家らから受賞には値しないと批判され「炎上」していたと。

エルノーを「いつも自分にまつわるテーマばかりを扱っている」作家だと批判する人たちが、同じ口でミシェル・ウエルベックを推すのはギャグのつもりなんですか…?

その理由でもってエルノーへ批判を向けながらも、ウエルベック作品の常である、満たされない白人中年男性の悲しみやら苦痛やら欲望やらの屈託と感情を高く評価することには何ら問題を感じないとしたら、それは何故なのか思いを巡らせてほしい…。

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自己開示がかなり下手っぴで、好きなもののことを話すのがどちらかと言えば苦手です。(キャプ翼のことは文章だから、まだ言えた気がする)でも、長くフォローし合ってる方とお互いリラックスした雰囲気で、同じように大事にしてるものを交換するように話したら、何だかすごく嬉しくて楽しくて、かちかちの自分のガードがぽろぽろ剥がれるような気持ちになりました。今年はもうすこしおしゃべりしたりしてみたいな。

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