10年ほど前、パティ・スミスがフジロックで原爆の話をして、我がことのように「I'm sorry」と言ったときに(そんなことを言ってくれるの?!)と本当にびっくりしたんだけれど、私は何にびっくりしたんだろう。こんなことを言ってくれる人がいるなんて、思いもしなかったからだ。では、どうしてそう思い込んでいたんだろう。そのことをここしばらく考えていました。あのときのパティの言葉、反戦のメッセージに勇気付けられながら、自分から沸いてくる卑屈な感謝の気持ちがあり、それはもしかすると特段持たなくていいものだったのかもしれない。パティの反戦の気持ちにただ連帯するだけでよかった。幼すぎてあのときは分からなかった。
日本も加害の歴史を持っており、そのことを見つめることが不十分で、自虐的な歴史観なんて言う近年の向きを思うと本当に情けなくなる。戦争が始まると、常態ではなくなり加害が正当化される磁場になってしまうこと、他国にした言葉にすることも辛い行いを改めて学んでいきたい。