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 “社会学者の日高六郎は、「沖縄・戦略体制の中の差別」(『世界』一九六七年八月)において、本来、沖縄の基地や核兵器の存在は施政権の有無に関わる問題で差別の結果ではないことを指摘しつつ、しかし、それを沖縄の人びとが差別と受け止める心情に理解を示した。”

 “日高は、アメリカは沖縄を差別して核基地を設置したのではなく、軍事戦略上から設置したのではあるが、その存在に日本政府や国民が怒らず、批判もしないことに、沖縄の人びとは〝沖縄は差別されている〟と感じていると主張したのである。”

 “この日高の論を受けて、沖縄タイムス社社長上地一史は「本土との差別を排せ──沖縄はこう考える」(『潮』一九六七年一一月)において、核付きか核抜きかという「復帰」論を見聞すると、「発想の根底に、不本意ながらも、沖縄は差別してもよろしいという前提が沈着している」「差別を意識していると、いないにかかわらず、沖縄に視点をすえて考えると、突き放された差別感に襲われるのは、否めない事実なのだ」と発言した。”
第6章 「人権」の時代
1 復帰か独立か──沖縄差別論
 
差別の日本近現代史
包摂と排除のはざまでiwanami.co.jp/book/b223928.htm

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“沖縄県民は、あの凄惨な沖縄戦で、本土防衛のための防波堤として筆舌に尽くし難い犠牲を強いられ、終戦後も本土から切り離されて米軍の施政権下におかれました。
 そして、銃剣とブルドーザーによる強制的な土地の接収を経て、広大な米軍基地に囲まれることになり、軍用機の度重なる墜落事故や米軍人等による殺人・強姦等の凶悪犯罪、燃料流出による井戸の汚染など、本土復帰までの27年間、軍事基地があるがゆえの、ありとあらゆる基地被害にさらされたのです。そしてこの間、本土の基地負担を軽減するために、日本国憲法が及ばない沖縄への基地集中が進められたのです。”

辺野古代執行訴訟 沖縄県知事の意見陳述(全文)ryukyushimpo.jp/news/politics/

 “私たちにも、奪われた野にも春は来るのかと聞かざるを得なかった時代があった。春が訪れるように、自然に解放が訪れるわけもなく、植民権力が善意で計画を変えるはずもない。”

[寄稿]パレスチナを支持できないというあなたへjapan.hani.co.kr/arti/opinion/

 “「トランス女性は女性ではない」論者は、トランス女性の持つ現実の(または想像上の)男性特権についてくどくど言いながらも、彼ら自身のもつシスジェンダー特権の存在を認めたり、それについてしっかり考えたりすることはしない。この事実は、彼らの持つ「特権」への懸念が誠実ではないことを表している。彼らは、単にトランス女性の自認や女性としての生活経験を正当でないとするために、特権という概念を利用しているだけなのだ。”

【翻訳】「トランス女性は女性じゃない」論の間違いをすっぱぬく ― ジュリア・セラーノ(翻訳: イチカワユウ、協力: 佐藤まな)transinclusivefeminism.wordpre

背表紙を眺めて、なんとなく手に取る時間は落ち着く。大抵はカバーをかけているので表紙は見えないが、この本、というイメージが定着しているのでそのままにしている。

この本に書かれていた、身体にあらわれる抵抗についても思い出す。

フーコー「蜂起は無駄なのか?」
「人は蜂起する。これは一つの事実だ。そのことによってこそ、主体性(偉人のではなく、誰でもいい人間の主体性)が歴史に導入され、歴史に息吹をもたらす。
 非行者は、濫用される懲罰に抗して自分の命を賭ける。狂人は、監禁され権利を剥奪されて、くだびれはててしまう。民衆は、自分たちを抑圧する体制を拒否する。そんなことをしても、非行者は無罪にならないし(...)明日を保証されはしない。(...)混乱したこれらの声が、他の声よりうまく歌っているとか、真なるものの深奥を朽ちにしているなどと見なす必要はない。
そうした声に耳を傾け、その言わんとするところをわかろうとするということに意味があるには、そうした声が存在し、これを黙らせようと執念を燃やすあらゆるものがあるというだけで充分だ。」
 

哲学で抵抗する 高桑 和巳
shueisha.co.jp/books/items/con

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『ある視点からすればいわゆる気が狂う状態とてもそれが抑圧に対する反逆として自然にあらわれるかぎり、それじたい正常なのです。』

 “精神病への偏見がいまよりもずっと強かった一九七四年、「全国『精神病』者集団」という団体が結成された。「精神病者」が連帯して差別や偏見に立ち向かい、患者の人権を軽んじる精神科医療の問題を厳しく指摘した団体だ(いまもし続けている)。
 引用したのはここに参加した吉田おさみ(一九三一~一九八四年)の言葉。当時、「心を病む」ことは、「その人が弱い・悪い・おかしい」で片付けられていた。心を病んだ人は、とにかく薬を飲ませておくか、長期入院させておけば「問題は解決した」と考えられていた。
 その理不尽さに対して、吉田おさみは黙っていなかった。心を病むのは〈抑圧に対する反逆〉として〈正常〉なのだと言い切った。この言葉のすごいところは、返す刀で「では異常なのは何? 誰?」という問いを突きつけてくるところだ。”
 

まとまらない言葉を生きる
荒井 裕樹 著kashiwashobo.co.jp/book/978476

“(略)田井中雅人は、超核大国であるアメリカを「アメリカは核大国であるゆえに、被ばく大国」と的確に指摘しています。ここまで幾度も見てきたように、ラジウムなどの物質の製品化、ウランの発掘、度重なる実験など、大量の核を利用するために、それだけ多くの国民が図らずも被験者になっているのです。”

“そして、アメリカの、そして、他国の被ばく者とつながるためには、私達自身の、日本の被ばくの被害についても、「なぜ話せないのか」を考えることが大事でしょう。前述のように、被ばくで傷ついた体に対し「嘆くべきでない」と圧力をかけてくる「文化的条件」とは一体何なのかという問題は、核と放射能の問題が一国にとどまらないことを鑑みても、常に自問するべき問いと考えます。”
 
なぜ原爆が悪ではないのか アメリカの核意識iwanami.co.jp/book/b515759.htm

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“アメリカ内外の核施設の観光地化とそこでの語りは、「脆弱な命」が顧みられない巧妙な文化的条件を作り上げる装置として機能しており、多くの人が「人質」として口を封じられている状態です。実際、これらの地で、被害の事態が明らかになった時、誰がどのように失われた健康に責任を取れるというのでしょう。”

“アメリカにおいて、日本において、被ばく者の方々、被ばくで苦しむ人たち、そうした人たちを支援している人々、そして彼らを見ている臨床医たちの闘いに敬意を表すると同時に、ジュディス・バトラーの言葉を借りれば、彼らの身体(あるいはDNA)に刻印された傷を「嘆くべきでない」と圧力をかけてくる「文化的条件」とは一体何なのか、と問わずにはいられません。”
 

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第7章 被ばくを歪める語り

“こうした被ばく地の観光化はアメリカに限ったことではありません。広島・長崎をはじめ、チェルノブイリでは「ダーク・ツーリズム」として、福島では「復興ツーリズム」として観光地化は進んでいます。”

“(略)例えば被災地である福島の人々が原発に代わる、また損害を受けた様々な産業に代わる経済的基盤を構築したい気持ち、「普段の暮らし」を取り戻したい住民、あるいは元住民の気持ち、などは無視されるべきではないでしょう。しかし、そうした気持ちに耳を傾けることと、被ばく地に暮らすことの危険から目を逸らすこととを、一緒にしてウヤムヤにするべきではないと考えています。”

 

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ジュディス・バトラー:
 >まず、私が明白かつ事実であると考えていることを述べましょう。イスラエルのパレスチナ占領における入植者植民地主義的枠組みは人種差別の一形態です。パレスチナ人は人間以下とみなされています。

 >問題の根源とは、パレスチナ人達が完全な自決権を得て、民主的な社会に暮らす道を模索することであり、祖国追放に終止符を打ち、奪われた土地が返還あるいは認知され、賠償がなされ、過酷な環境下で離散を強いられた多くの人々に帰還権を認めるという道を模索することです。

note.com/bashir/n/n78fb1d68656

第6章 隠されてきた被ばく

マーシャル諸島での核実験(67回以上)は、住民の被害は勿論なんだけど、

「彼ら(マーシャル諸島の住民)は、我々西洋人、文明を持った人たちとは違います。とはいえ、彼らはネズミよりも我々に近い、というのは事実です」
アメリカ原子力委員会(AEC)の記載。

そこにマーシャル諸島の住民を人間として見ていなかったことが示されているようで、嘆息する。他の例であるように、周縁にいるようにされた人びとや地域(声をあげることが困難を極める)が選定されている。マーシャル諸島の2014年のハーグ国際司法裁判所への訴えも、アメリカ政府に対する訴訟も棄却。

国際司法裁判所、アメリカ連邦裁判所での訴訟の却下、棄却について。
“加害者が被害者に対して加害者側のルールを適用する、常軌を逸した例がここでも見られ、改めて、こうした被害を生んだ元凶である力の非対称性を痛感します。”  

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