『ある視点からすればいわゆる気が狂う状態とてもそれが抑圧に対する反逆として自然にあらわれるかぎり、それじたい正常なのです。』

 “精神病への偏見がいまよりもずっと強かった一九七四年、「全国『精神病』者集団」という団体が結成された。「精神病者」が連帯して差別や偏見に立ち向かい、患者の人権を軽んじる精神科医療の問題を厳しく指摘した団体だ(いまもし続けている)。
 引用したのはここに参加した吉田おさみ(一九三一~一九八四年)の言葉。当時、「心を病む」ことは、「その人が弱い・悪い・おかしい」で片付けられていた。心を病んだ人は、とにかく薬を飲ませておくか、長期入院させておけば「問題は解決した」と考えられていた。
 その理不尽さに対して、吉田おさみは黙っていなかった。心を病むのは〈抑圧に対する反逆〉として〈正常〉なのだと言い切った。この言葉のすごいところは、返す刀で「では異常なのは何? 誰?」という問いを突きつけてくるところだ。”
 

まとまらない言葉を生きる
荒井 裕樹 著kashiwashobo.co.jp/book/978476

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この本に書かれていた、身体にあらわれる抵抗についても思い出す。

フーコー「蜂起は無駄なのか?」
「人は蜂起する。これは一つの事実だ。そのことによってこそ、主体性(偉人のではなく、誰でもいい人間の主体性)が歴史に導入され、歴史に息吹をもたらす。
 非行者は、濫用される懲罰に抗して自分の命を賭ける。狂人は、監禁され権利を剥奪されて、くだびれはててしまう。民衆は、自分たちを抑圧する体制を拒否する。そんなことをしても、非行者は無罪にならないし(...)明日を保証されはしない。(...)混乱したこれらの声が、他の声よりうまく歌っているとか、真なるものの深奥を朽ちにしているなどと見なす必要はない。
そうした声に耳を傾け、その言わんとするところをわかろうとするということに意味があるには、そうした声が存在し、これを黙らせようと執念を燃やすあらゆるものがあるというだけで充分だ。」
 

哲学で抵抗する 高桑 和巳
shueisha.co.jp/books/items/con

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