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[徐京植コラム]無慈悲な時代―日本から送る連帯の手紙
japan.hani.co.kr/arti/opinion/

 “ミャンマー、ベラルーシ、香港…、手の届かない世界の各地で、互いに会うことも顔を見ることもできない場所で、人々の苦悩が延々と続いている。その苦悩に「共感」(compassion)すると、解決困難な苦悩を背負い込むことになり、自分の心身まで傷つけられる。だが、だから「共感」なんかしないほうが良いというのか。それでも「共感」してしまうのが人間ではないか。「連帯」しようとするのが。この精神の機能までも放棄したときに「非人間化」が完成し、「疫病」が凱歌をあげるだろう。”(2021年5月14日)

これは面白く読んだ本。
「母性」子に尽くす母が称揚され始めたのは大正くらいからで、それまでは家長に仕える孝女が理想とされていたなど母親像の変遷が面白かった。
富国強兵の道具であった/あることは変わりはないけれど。

不道徳お母さん講座
私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか
kawade.co.jp/sp/isbn/978430902

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大日本帝国の「少年」と「男性性」
少年少女雑誌に見る「ウィークネス・フォビア」akashi.co.jp/book/b67031.html

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『不道徳お母さん講座──私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか』を読み返していたら参考文献で
『大日本帝国の「少年」と「男性性」
少年少女雑誌に見る「ウィークネス・フォビア」』を目にして興味を持つ。

「故意」かどうかは入管が決めるのだからこんな不公正はない。

故意に税金未納や滞納繰り返した場合 国が永住許可取り消しへwww3.nhk.or.jp/news/html/20240

『国家と犠牲』を読んでいるとルナン『国民とは何か』が出てくるのでこれを読み返したくなっている。哀悼の共同体が誰を排除するのか。レイシズムに基づく植民地主義。
QT: fedibird.com/@takako3599/11152
[参照]

 
“重要であるのは、西洋における他者蔑視の表象である〈野蛮の言説〉をヒトラー個人に還元せず、西洋植民地主義の明白な帰結のうちにヒトラーの思想をも位置付けることです。そのことを確認すべく、飽くことなくエメ・セゼールの『植民地主義論』(一九五五年)の次の言葉を引用しておきます。 「ヒトラーか? ロー...
さんがブースト

2024年2月18日から24日までは「Aro Week」です。他者に恋愛的に惹かれない「アロマンティック」のための1週間。みんなで連帯を深め、助け合い、社会に訴えていきましょう。

アセクシュアル・アロマンティックについて知りたいときは「AセクAロマ部」もぜひ。
acearobu.com/

木蓮の蕾がどれくらいふくらんだか、ノスリはまだあの電柱にとまっているのか。

こちらのアカウントより引用

“イタリアのユダヤ系の人々が、「アウシュヴィッツ解放を記憶する日」(1月27日)を記念して、イスラエル軍の民間人殺害という戦争犯罪を批判する公開書簡を発表。「ガザと西岸で死が生み出されるのを止めること以外に、記憶の果たすべき役割があるだろうか」。”

twitter.com/lunafalcata/status

ilfattoquotidiano.it/2024/02/1

アレクシエーヴィチとの対話
「小さき人々」の声を求めて
第一五章 長い道──スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんへの手紙 徐京植iwanami.co.jp/book/b583375.htm

 “「ユートピアの廃墟」に立ち尽くしながら、それでもその廃墟で生きていく私たちに共通の思いがあるからだと、私は信じたい。”

アメリカ人文紀行・おわりに──善きアメリカの記憶のために
note.com/k2y2manabe/n/n6ff3040

『休戦』プリーモ・レーヴィ
「私たちはラーゲル(強制収容所)を経験した。私はそれを、私の人生や人類の歴史の奇怪な歪曲、おぞましい例外とみなした。だが彼にとっては、周知のことの悲しい確認でしかなかった。「いつも戦争だ」人間は他人に対しては狼だ。」

 “ウクライナもミャンマーもすべて急速に『陳腐化』されていく。「ホロコースト」や「パレスチナ」でさえ、こうして陳腐化されるのだ。”

徐京植「母語という暴力―尹東柱を手がかりに考える」note.com/k2y2manabe/n/nf03caaf

 “尹東柱の作品の多くは繊細な抒情詩であり、表面的には決してプロパガンダ的でないように見える。だが、そのことが彼の詩が日本でも好まれている理由であるとすれば、そこには深刻に掘り下げて考えるべき問題が潜んでいる。日本の多くの読者は(決して「すべて」ではないにせよ)、日本が植民地支配を通じて朝鮮民族に加えた害について詳しく知ることを望んでいない。だから、尹東柱の詩に出会う際も、日本および日本人が受け止めるべき告発としてではなく、一般的な「実存的愛の表白」として読むことを好むのではないか。そうだとすれば、それこそが植民地的権力の行使なのである。”

 “敗戦後早い時期に、長崎の原爆被爆を「貴い犠牲」とするレトリックが永井隆のもとに生み出され、浦上地区のカトリック信者が被爆の苦しみを耐え忍ぶうえで著しい効果を発揮した。しかしそれは同時に、米国米軍の責任のみならず、日本の国家および天皇の責任への問いを封殺するような論理になっていた、ということは否定できません。ここにはあきらかに、「犠牲の論理」によって死と残虐が「聖化」され、その責任が抹消されていくプロセスが作動しているのです。”

国家と犠牲nhk-book.co.jp/detail/00000091

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永井隆『長崎の鐘』
「そりゃそうばってん。誰に会うてもこういうですたい。原子爆弾は天罰。殺された者は悪人だった。生き残った者は神様からの特別なお恵みをいただいたんだと」

「私はまるで正反対の思想をもっています。原子爆弾が浦上に落ちたのは大きなみ摂理である。神の恵みである。浦上は神に感謝をささげねばならぬ」

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 “長崎被爆における浦上地区の特殊性は、隠れキリシタンの地域であったことには尽くされません。その隠れキリシタンに対する一種の緩衝地域として、旧長崎市内と浦上地区の間に、いわゆる被差別部落が作られ、そこに移住させられたひとが、「崩れ」の際にカトリック信者たちを実力で一斉検挙する役割を強いられたというのです。”

 “旧長崎市内にいた人々ももちろん被爆しているし、熱線は届いていますから、旧市内でも多数の死者が出ています。しかし爆心地はあくまで浦上地区であって、ここは全滅に近い状況だったわけです。そこから、旧長崎市内の長崎市民の間には、「原爆は(長崎ではなくて)浦上に落ちたのだ」という意識が形成されたといわれます。そのことはまた、浦上地区が隠れキリシタン地区であり、被差別部落があったこととも関係があると思われるわけです。”

 “このようなことからすると、「原子爆弾は天罰」という右の見方は、キリスト教という日本社会では異質な信仰を持っていた一団に対する一種の差別意識が表面化したものとも考えられるし、そこにはさらに被差別部落に対する差別意識も絡んでいたと考えられるでしょう。”

 “ところが、それをひっくり返したのが永井隆です。”

国家と犠牲
nhk-book.co.jp/detail/00000091

食べることは必ずしも生の肯定とは限らないのでその辺りの陰影というか、色々な掘り下げの色々なフィクションがあれば良いなと思う。

昼の月が出ている。明るい空に浮かんでいると、月が物体であることをあらためて感じさせる。

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