障害があり女性であること:生活史からみる生きづらさ
第Ⅰ部 障害とジェンダーをめぐる困難
第2章視覚障害のある女性の生きづらさ──甲斐さんの生活史
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 “友人に全盲女性と全盲男性が恋愛しているというのは、よくありました。結婚するのかなあと思っていたら、破談になったということがよくあるんですけど、その原因というのが、全盲男性の母親に強く反対されて、破談になるというケースがとても多かったです。今までは息子の面倒は私が見てきたから、その後は、奥さんになる人にやって欲しいっていう役割分担があるっていうことを、その母親はたぶん思っているんだと思うんですけど。そういうこともありましたし、それから、結婚はしたけれども子どもは絶対に持たないって決めたとか、子どもができても、すごい喜んでいたのに、会ったときに「堕ろしちゃったんだ」と言って、泣き疲れたというか、泣きじゃくっていたということもあって。(視覚障害ナビ・ラジオ、ニ〇一三)”

 

第2章視覚障害のある女性の生きづらさ──甲斐さんの生活史をたどる
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“三療業に関して、ジェンダー的な視点からの調査研究は多くはなく、ハラスメントについての研究はほとんどない。歴史的には昭和のはじめまで、視覚障害のある女性は「按摩の技術を身につけ、生涯独身を通すことが良しとされていた」(谷合、一九九六、一九七頁)という。にもかかわらず、多くの女性が仕事を行うなかでハラスメントの被害にあっていた(粟津、一九八六、五─六頁)。歴史的には(インモラルな)「女按摩」への見方があり(粟津、一九八六/中村、一九三九→森田、ニ〇一五に引用)、このため三療に従事するじへのハラスメントは生起しやすい。これと関連して女性のハラスメント経験は、男性のそれとはまったく異なるものになることが推し測られる。”

 注*近年、三療(あん摩マッサージ指圧、はり、きゅう)の職種において晴眼者との競争が激化し、三療に従事する視覚障害のある人たちは経済的に苦しい状況におかれていることは指摘されている。鍼灸マッサージ業者を対象とした調査によると、年収(中央値)は視覚障害者が一ニ八万円、晴眼者は四〇〇万円であり、前者の四ニ%が一〇〇万円以下の階層に集中していたという(藤井他、ニ〇一七)。

光に向って咲け
ー斎藤百合の生涯ー
著 粟津 キヨ
iwanami.co.jp/book/b267765.htm

内容説明
「弱い者がどう扱われているかによってその国の文化程度がわかる」と言いつづけ,盲女性のために苦闘した斎藤百合.幼児失明の不運を努力と天性の明るさでのりこえ,四人の子を生み育てながら東京女子大学の第一期生となった彼女は,「盲女子高等学園」の設立をめざすが…….百合に親しく導かれた著者が描く,知られざる先覚者の姿.

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障害があり女性であること:生活史からみる生きづらさ
第Ⅰ部 障害とジェンダーをめぐる困難
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コラム1 聴覚障害があること・女性であること 臼井久実子

 “「障害があるのだから、人にめいわくをかけないように、可愛がられるように」という抑圧が、学校に社会に、空気のようにあった。それに加えて「女の子は出しゃばらないように、おとなしく」「女は結婚して子どもをもつのが幸せ」ということがよく言われた。”

 “何重もの抑圧を感じていたが、少女あるいは女性の立場から話し合える人や、被害について相談できるような人は、周囲にはいなかった。障害があるという理由で、他の少女や女性たちとも隔てられてきたから。”

 “子どもをもつことについては、親族はある時期からふっつりと言わなくなった。”
 

障害があり女性であること:生活史からみる生きづらさ

第Ⅰ部 障害とジェンダーをめぐる困難
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コラム1 聴覚障害があること・女性であること 臼井久実子
 
 “かなり後になってから初めて、障害はない女性と話し込んだり、女性としての経験を聞く機会をもつようになった。「結婚はまだか、子どもはまだか」とうるさく言われてきたことをきいた。「五体満足」な子どもを産み育てなければという、抑圧の深さを知った。”

 “一方の「産むべき」と、他方の「産むべきでない、性的なことを極力回避」、この違いは何だろうと考えるうちに、あらわれ方は正反対に見えるけれども、根っこは一つなのではと思うようになった。”

 

このようなことも思い出す。

性教育バッシングと今もある「純潔教育」
mainichi.jp/premier/politics/a

 “2000年代に始まった性教育へのバッシングは、1990年代からの教育への政治介入の一環だ。2003年にあった東京都立七生養護学校(当時)への攻撃(※)は、教員を萎縮させ、日本の性教育に深刻な影響を及ぼしたが、これは性教育だけの問題ではない。

 石原(慎太郎)都政のもとで教育現場に日の丸、君が代が強制されていくなかで、教育内容もコントロールすることが目的だった。”

※ 同校の「こころとからだの学習」について一部の東京都議が「過激な性教育」などと攻撃し、都は教材を没収し、教員を処分した。後の訴訟で都議と東京都教育委員会に賠償命令が出た。

第Ⅱ部 ライフコースと性役割
第4章 恋愛・結婚、妊娠・出産
障害があり女性であること:生活史からみる生きづらさ
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障害女性の生きづらさ、女性規範と自己アイデンティティの点から。
〈恋愛における生きづらさ〉
(身体規範、ケア役割)
 
 “障害女性には、自身がいわゆる「健康な体」「美しい体」という身体規範からはずれている、恋愛対象とみなされないという思いがある。恋愛欲求、性的欲求を周りから否定される経験があり、そういう気持ちは押し殺して生きてきたという語りがあった。”
 

第Ⅱ部 ライフコースと性役割
第4章 恋愛・結婚、妊娠・

出産障害があり女性であること:生活史からみる生きづらさ
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おわりに
“(前略)女性としての自己アイデンティティについては、障害による社会的障壁が大きいことにより、女性であるという意識があまりもてない。女性としての自己アイデンティティをもちにくいこと自体が、障害女性の生きづらさを表している。
 女性規範に応じられない、ドミナント(=社会で支配的)な女性規範に応じられないことについて、ただ応じられないだけではなくて、応じられなくても、それを相対化できるような環境にあれば、それほど生きづらさにはつながらないが、それを相対化できない環境におかれ、周囲から全く承認されない、軽んじられてしまうことで、自己アイデンティティの不安定さ、生きづらさにつながっているのではないか。”

続き。六条歌林さん(三十代なかば、全身性障害をともなう進行性の難病を二十代なかばで発症)の語り。
途中まで。

第7章 意識がないと思われてる──難病、六条歌林さんのばあい

病院のソーシャルワーカーの言葉から

「結婚するタイミングなかったの? みたいなことを言われたことがあって。私、二〇代なかばで発症して寝たきりとかなってるから、それまでに結婚する機会があったら人生、変わってたんじゃないの? みたいなことを訊かれたことがあって。」

“健康保険や国民年金の納付や受給が「扶養家族になってると変わってくる、みたいな話をしてて、(歌林さんが結婚してないことにふれて)結婚するタイミング無かったの? みたいなことを言われて」。”

“「(男性であれば発症後も何とかして)「お仕事、続けられなかったか」みたいな話になるだろうところが、(女性であるがゆえに)「結婚して扶養に入るタイミングがなかったのか」みたいなことを言われた(後略)」。”

“女性は結婚して家庭に入るもの、まして障害をもったなら扶養されるのが何よりではないか。歌林さんにそうと言ったソーシャルワーカーは、ひとりかれの独創ではなく、私たちの社会にある通念を口に出したのである。”


第Ⅱ部 ライフコースと性役割
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第7章 意識がないと思われてる──難病、六条歌林さんのばあい

大学病院で
「どんどん悪くなっていっちゃって、(完全)閉じ込め症候群みたいな状態になっちゃって。自分は意識はあるし、伝えたいこともちゃんとあるんだけど、人には意識が無いと思われている。全部聞こえているし、されていることも分かってるけど、なんか(何も)伝えられないというときがありましたね」。

“歌林さん「私の身体を拭きに来て「今日の飲み会、何時から、どこで待ち合わせだよね」とかふつうに会話してたり。となりの部屋の家族がどうこうとか、そういう話をしてて」。”

「自分がいないものだと思って会話されてる感じ。自分だけ、なんかこう、見えてないっていうか。その人たちのなかでは私はいないも同然の状態で会話してるんだなあと思って。意識が無い人にたいしてはこんなふうにしてるんだって思ってた。」

  
第Ⅱ部 ライフコースと性役割
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続きの、積極的にしたい話ではないが、友人たちとの結婚に関する話題が自分には気を遣って尋ねられることがない、自分にとっては決着のついている話だから訊いてくれて構わないのに、という箇所も印象的だった。同じ場所にいて、会話をしていて、その話題だけ自分にこない。

相手の状態によって訊いたり訊かなかったりする物事があって、それは例えば礼儀と表されたりするけど、その時の、訊く訊かないの基準を、私は何を基にしてそうしているのだろうかと思う。

続き。
第9章 性と生殖に関する健康と権利(SRHR)の保障に向けて

セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルスに必須である「包括的性教育」について

・人権をベースとした教育
・互いを尊重し、よりよい人間関係を築くことを目指す教育
・健康とウェルビーイング、尊厳を実現し、子どもや若者たちにエンパワメントしうる知識、スキル、態度、価値観を身につけさせる教育

“委員会(グッドマッハー・ランセット委員会)は、「健康に関連する姿勢や行動は人生の早い内に形成されることを踏まえ、すべての国で科学的根拠に基づき、国際的な技術指針に則った包括的セクシュアリティ教育の統一過程を作ること(中略)厳格なプログラム評価から導きだされる根拠(データ)を元に、性教育によって若者が性的に奔放になり、リスク行動が増えるという都市伝説を打破しなければならない」としている。”

 
第Ⅲ部 これまでとこれから 課題・論点
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「性教育によって若者が性的に奔放になり、リスク行動が増える」という説は「都市伝説」とおなじくらい根拠がなく、しかし「打破しなければならない」と明記しないとならないくらいに根強い。

同章、優生保護法のところを読んでいる。憲法の精神に背かない。

「基本的人権の制限を伴うが、「不良の子孫の出生防止」という公益上の目的のためには、憲法の精神に背かない。真にやむをえない限度において、身体を拘束したり麻酔薬を用いたり、だましたり(欺罔)してもよい」(一九五三年厚生省事務次官通知、一九四九年一〇月一一日法務府法制意見第一局長回答)


第9章 性と生殖に関する健康と権利(SRHR)の保障に向けて
第Ⅲ部 これまでとこれから 課題・論点
障害があり女性であること:生活史からみる生きづらさ
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憲法が実存に響かなかった人について。
読み返したいが図書館は閉館しているのでまたの機会に。

憲法の断層――実存に響く言葉を求めて
車椅子の横に立つ人
-障害から見つめる「生きにくさ」-
荒井裕樹 著seidosha.co.jp/book/index.php?

強制不妊手術
GHQ「医学的根拠不明」 日本側押し切る
mainichi.jp/articles/20180624/

 “手術の根拠とされた「遺伝性精神病」「強度かつ悪質な遺伝性病的性格」などを「おおざっぱな分類だ」と批判し、「ナチスの断種法ですら、医学的に遺伝性とみなされる個々の病気を明示した」と指摘した。”

続き
優生保護法

 “強制不妊手術が実施されたのは、むしろ戦後の優生保護法(一九四八年)の後であった。”「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」

 “中絶の合法化は世界に先駆けていたが、その後の欧米の女性運動のように産む・産まない自由を求める運動によるものではなかった。戦地からの復員・引揚者による人口増加と食糧難、引揚げ女性の性被害への対応として中絶を行っていたなどの時代背景があった(後略)。”

 “また、戦後はドイツの国家主義的な優生思想は支持を失ったが、アメリカの民主主義的な優生政策は存続した。”

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読んだ。

障害があり女性であること:生活史からみる生きづらさ
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障害のある女性への性暴力についての聴きとりがあり、読んでいてつらかった。なぜ性暴力が向けられるのか分析されており、権力勾配と差別、社会構造に尽きるのだろうな、と思った。障害のある男性に対してもそれはあって、より訴えにくいだろうとも。

インターセクショナリティを取り上げた章は、読んでいるうちに文章が文字にばらけてしまうというか、読み返さないと腑に落ちた感じがない(他についての文章は腑に落ちている訳ではない)。

途中、しんどい時もあったけど色々なことを読めて良かった。ただ、読んでいると障害のある人はヘテロセクシャル且つシスジェンダーしかいないような感じも受ける。そんなことはないはず。そういうテーマではない、と言われたらそうなんだろうけど。でも生きづらさの話だし、関係はあるんじゃないか、みたいな引っかかりは残る。

この辺りの話もあって良かった。気になっていたので。

「まとまらない言葉を生きる」荒井裕樹さんインタビュー 差別・人権…答えが見つからないものこそ言葉に
book.asahi.com/article/1436906

“――本書では「青い芝の会」などの障害者運動の中に女性差別があったことを指摘しています。

 障害者運動において女性差別は根強くありました。運動の中心が男性達で、女性達はそれを支えることを強いられる構図がありました。

 僕も「男の夢とロマン史観」のようなもので、障害者運動の歴史を追いかけていたことに気づきました。これまで話を聞いてきた方は、大体が男性運動家でした。長くお付き合いをしてきて、武勇伝のような話を聞いていました。”

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