今、内閣府が安倍元首相の国葬儀に関することを「有識者(じゃないのも一部にいるが)にヒアリングした報告書「故安倍晋三国葬儀に関する意見聴取結果と論点の整理」をざっと眺めていた。以前Twitterで言ったことの繰り返しになるが、もともとこの国葬儀は「ある人物の業績を評価して、国葬儀の対象に選んだ」というより「拙速に国葬儀の対象に選んだ後、その人物の業績を後付けで説明した」という印象が強い(選挙や内閣支持率のことを念頭に置いていないと言うこともなかろう)。別言すれば国葬に値する人物であったことを「実際に国葬を行うこと」で証明しようとしたのが今回の政府の動きだろう。要するに順序が逆なのである。古諺に「棺を蓋いて事定まる」というが、その後に様々な問題が噴出したせいで、その蓋も覆うことができなくなった末の混乱であったと思う。
あと、国葬儀に賛成、反対の立場の違いはあれ、「国葬儀の対象になる人物を選ぶ基準を作ることは無理」「弔問外交の成果は云々すべきではない」というところは結構一致していたのも興味深かった。
https://www.cao.go.jp/kokusougi/kokusougi.html
@nakano0316 恐らく政府寄りと思しい「有識者」の面々も内心判っていて「基準は決められないよなあ」という点では一致していたのだと思います。まあ、あんなものやらないに越したことない、というのが今回の教訓ですよね。僕は法学の素人なもので、報告書に出てくる「重要事項保留説」「侵害保留説」「行政控除説」など、ついググっちゃいました。
@t_kawase まさにまさに。「国葬に値する人物であったことを「実際に国葬を行うこと」で証明しようとしたのが今回の政府の動き」というのが真実と思います。さらなる権威づけのための国葬ですよね。