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『モンキーマン』見終わりました。
ダークでバイオレンスな映画だけど、ぶちのめすのは徹底して強いものたちであり、弱きは決して傷つけないスタンスが始めから終わりまで徹底していた。強いて言うなら犬はあのあとどうなったのだろう……

アンチヴィーガンって自己の意思が薄弱だよな、とは常々思う。
広報するヴィーガンを見ただけで強制されたと思い込んで、その場で肉を食べなければ自我を保てないなんて、はっきり言って病的だ。

ここまで来るとなんか強迫観念に駆られているように見えてしまうな。
そんな食べ方する肉って美味しい?
x.com/yamaguc_s/status/1830181

マンガで歴史を学びました、っつーのはアレだな、AVでセックスを学びました、みたいなのと同類なんだという自覚は欲しいところですね。

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もし「政治的でない映画」というのがあり得るとすれば、それはいまならガザの映画だと思う。

ガザの人たちは、ただそこにいるというだけの理由で殺されている。そこにはいかなる政治性もない。ただ、行われてはならないというだけ。

本人は正義疲れだと思ってるだろうけど、それただのSNS疲れだから。

『ソウルの春』見終わりました。
『ティル』もそうだったけど、報われなかった戦いの物語を見るのはとてもつらい……でも、自由や平等を手に入れるための戦いが報われるようになるまでに、手に入れられず倒れていった人たちがいる、ということこそ大切なことなのかもしれないね。

韓国映画『ソウルの春』感想

韓国映画界は最近は衰えたというけれども、今また底力をみせているのでは? こんな凄まじい映画をよく作れましたよ。自国の歴史の闇を徹底的にエグり、エンタメに変えていく執念に感服です。こういうどんなに最低な人間であっても「あいつ、なんか勢いあるな…とりあえずついていこうっと」みたいな感じで従属する男たちがワラワラと出現する…なんか前の東京都知事選でも同じ光景を見た気がする… #映画

👇 ネタバレあり
cinemandrake.com/1212theday

反差別を掲げている人の中にたまに見受けられるけれども、「相手の差別を指摘できたほうが勝ち」みたいな点取りゲームだと思っている人がいる。それは単に論破すればいいという考えと変わらず、差別の指摘が点数稼ぎになってしまう。平等のために社会構造を変えるという目的から外れてしまっており、そういう言論のノリには私も賛同できない。差別を指摘しても相手より優位に立てるわけではない。差別の指摘もまた責任がともなうし、場合によっては合意や検証だって必要になる。SNSはそういうことを忘れさせる怖さがあるけど、本来はそういうプロセスなのだということを常々覚えておきたい。

私も正義が暴走しているところを見たことがない。いつだって暴走しているのは、暴力や差別、冷笑、劣等感、権力欲、デマ、陰謀論、エリート主義、資本主義、軍国主義、機能不全のSNSプラットフォーム…そんなものばかり。

「正義に疲れられる」人、マジョリティ特権にどっぷり浸かれていて羨ましい(皮肉)ですねえとは言いたいな。

「正義が暴走していないか」というのは自分自身に問い質し続けるテーマであって、他者に投げかけたらその時点で自分を棚に上げた傲慢な思い上がりになる。

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