映画について
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イエジー・スコリモフスキ『EO イーオー』について、ロバであるEOが映画的存在としての馬とどのように対比されているか、ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』とどう結びついているのかを軸に書きました。ネタバレあります。
----「馬ではない」存在としてのロバ ー イエジー・スコリモフスキ『EO イーオー』https://structuredcinema.com/entry/jerzy-skolimowski-eo
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ジャン・グレミヨン『曳き船』嵐が戦場の比喩となっているという点から、劇中に配置されたモチーフやカメラの動きの意味するものについて書きました。
----戦場と生 ー ジャン・グレミヨン『曳き船』https://structuredcinema.com/entry/jean-gremillon-remorques
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マックス・オフュルス『永遠のガビー』あの凄まじいスピーカー破壊のシークエンスの意味するものについて、他作品とも共通する偶然性や決定性を元に書きました。
----運命への報われない抗い ー マックス・オフュルス『永遠のガビー』https://structuredcinema.com/entry/max-ophuls-la-signora-di-tutti
オタール・イオセリアーニ『鋳鉄』溶鉱場の内部には戦場のような爆発音が鳴り響く。溶鉱場内部が戦場であり暴力そのもののように映される。それを繰り返す日々を送ることの強制こそが凄まじい暴力であるように感じられる映像と音となっている。
----暴力としての音 / 着せられた役割 ー オタール・イオセリアーニ『鋳鉄』https://structuredcinema.com/entry/otar-iosseliani-tudzhi
オタール・イオセリアーニ『ジョージアの古い歌』地域の人々が家などを背景として、動かずに睨むようにカメラを直視するショットが何度も挟まれる。被写体がカメラに慣れていないことから生まれただろうこのショットこそがこの短編のメッセージのように思う。
----直視される観客 ー オタール・イオセリアーニ『ジョージアの古い歌』https://structuredcinema.com/entry/otar-iosseliani-georgian-ancient-songs
オタール・イオセリアーニ『エウスカディ、1982年夏』について。モノクロで映された伝統的な生活が、カラーへの変転、それが日常生活ではなく祭りに向けた練習だったことがわかることで、過去のものになってしまった印象を残す映画。
----モノクロの過去 ー オタール・イオセリアーニ『エウスカディ、1982年夏』https://structuredcinema.com/entry/otar-iosseliani-euzkadi
オタール・イオセリアーニ『群盗、第七章』について、時代ごとに主人公が生きているのは誰かということから、"ノンシャラン"と形容される人物像がどのような意味を持っているのかについて書きました。
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オタール・イオセリアーニ『群盗、第七章』において主人公は誰を生きているかhttps://structuredcinema.com/entry/otar-iosseliani-brigands
オタール・イオセリアーニ『素敵な歌と舟はゆく』について。『蝶採り』と共通する、共存と分断というテーマを持ちながらも、絶望的にも希望的にも見えるラストに辿り着く映画。
----さらば、荒野よ ー オタール・イオセリアーニ『素敵な歌と舟はゆく』https://structuredcinema.com/entry/otar-iosseliani-adieu
オタール・イオセリアーニ『ある映画作家の手紙。白黒映画のための七つの断片』劇中で映されない、一つ目の断片は何を映したものだったのかについて書きました。
----一つ目の断片は何か ー オタール・イオセリアーニ『ある映画作家の手紙。白黒映画のための七つの断片』https://structuredcinema.com/entry/otar-iosseliani-lettre-dun-cineaste
オタール・イオセリアーニ『そして光ありき』について。フラハティ『モアナ』を引用しているように見えるが、その理由はなぜかということを中心に書いています。よければ是非。
----消費される魔法の終焉 / なぜフラハティか ー オタール・イオセリアーニ『そして光ありき』https://structuredcinema.com/entry/otar-iosseliani-et-la-lumiere-fut
オタール・イオセリアーニ『トスカーナの小さな修道院』について書きました。トスカーナに、ソ連に占領されていなかった世界でのジョージアを見ているように感じる。
----オタール・イオセリアーニ『トスカーナの小さな修道院』https://structuredcinema.com/entry/otar-iosseliani-un-petit-monastere-en-toscane
オタール・イオセリアーニ『蝶採り』について。様々な文化、国家にある人々が差異を持ちながらも共存し分断されていく様を描いた映画。フィクショナルな人物の描き方や美しい画面の持つ意味などに触れながら書きました。
----歴史と亡霊、レンブラントの光 ー オタール・イオセリアーニ『蝶採り』https://structuredcinema.com/entry/otar-iosseliani-la-chasse-aux-papillons
オタール・イオセリアーニ『唯一、ゲオルギア』について書きました。空虚な中心としての大統領。共存がどうして失われたのかについてであると同時に、他のジョージア映画やイオセリアーニの作品への補助線にもなっている。
----共存から内戦へ / 独裁者と信仰 ー オタール・イオセリアーニ『唯一、ゲオルギア』https://structuredcinema.com/entry/otar-iosseliani-seule-georgie
オタール・イオセリアーニ『四月』について、タイトルの四月が指すものを中心に書きました。よければどうぞ。
----1921年4月、ソ連占領下のジョージア ー オタール・イオセリアーニ『四月』https://structuredcinema.com/entry/otar-iosseliani-aprili
オタール・イオセリアーニ『珍しい花の歌』について、短いですが書きました。『四月』の習作のように思えるほどテーマが共通した作品。
----道路を割る花 / ポリフォニー ー オタール・イオセリアーニ『珍しい花の歌』https://structuredcinema.com/entry/otar-iosseliani-sapovnela
『アントマン&ワスプ:クアントマニア』について、自分の中で消化するために書きました。ネタバレがっつりあるので見た方のみどうぞ。
----『アントマン&ワスプ:クアントマニア』社会主義 / 革命 / 大衆と独裁者https://structuredcinema.com/entry/antman-wasp-quantumania
オタール・イオセリアーニ『水彩画』について、短いですが書きました。水彩画の持つ意味について。よければ是非。
----幸福への適合 ー オタール・イオセリアーニ『水彩画』https://structuredcinema.com/entry/otar-iosseliani-akvarel
マックス・オフュルス『忘れじの面影』について。原作がシュテファン・ツヴァイクのものであり、男の名前がシュテファンへと変更されていることを元に書きました。
----死へと向かう西洋 ー マックス・オフュルス『忘れじの面影』https://structuredcinema.com/entry/max-ophuls-letter-from-unknown
小田香『鉱 ARAGANE』について書きました。『伯林』『カメラを持った男』などの都市映画の形式を持ちつつも、不快感・緊張感が全面にあり、そして人間が機械に対して異物であるというそれら映画とは真逆の体感を持った映画。
----内臓手術的体感 ー 小田香『鉱 ARAGANE』https://structuredcinema.com/entry/2023/01/19/181213
ジャン・ルノワール『ランジュ氏の犯罪』について、人類史とその未来を描いた映画だということを劇中のメタ視点の導入などを中心に書きました。砂漠へと歩いていく二人の回想=蜃気楼としての過去。力入れて書いたので是非。
----蜃気楼としての過去、砂漠としての未来 / 大いなる存在の介入 ー ジャン・ルノワール『ランジュ氏の犯罪』https://structuredcinema.com/entry/jean-renoir-le-crime-de-monsieur-lange
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