母子家庭で生活保護受給世帯だった中学時代のころに触れたので、油揚げをフライパンで焼いて醤油を垂らしたのが夕食のおかずだったことを思い出しました。高校生になって読んだ内田百閒の随筆に、尋常小学校時代の貧しい同級生の家でこれをご馳走になったあと造り酒屋の自宅に戻って作って欲しいと母親にねだって怒られたくだりがあり、「まさにウチ」と思ったものでした。
中学当時の私はバカに無邪気でしたし要らぬ比較情報も入らない時代だったので何も思いませんでしたが、いまもあのころ時折炒めておかずにした雑草の野蒜が道ばたのあぜに生えているのを目にしたりするたびに、生き延びるに必死だった当時40すぎの母の心境を思います。