日高六郎さんは名著『戦後思想を考える』の冒頭で次のように書いている。
極東軍事裁判において「A級容疑者を釈放。・・・しかし岸信介、児玉誉士夫、笹川良一にだけは学生の注意を喚起しよう。いや、もう一人できれば安倍源基(戦時の内務大臣、戦後は衆院議員)の名も教えたい。彼は特高関係を歩んだ人間である。」
「冷戦の激化の中で、私はその意味を鮮明に理解した。児玉、笹川、岸は、釈放されるべくして釈放された。つまり釈放する方がアメリカの世界戦略の本筋だったのである」
「いわば戦後は、その一点から鮮やかに照らし出されている」
日高六郎さんはまさに「反ファシズム」と「グローバル冷戦」の双方に「独立」左派として抵抗したグループの代表と言える人。
また帝国日本の植民地である青島で1917年に生まれ、旧制一高に入学するまでそこで育った日高さんは、日本の植民地責任に極めて敏感な人でもあった。
例えば、日高さんは日本国憲法の制定過程で、日本側の司法官僚が「国籍条項」を挿入し、独立後の朝鮮人、中国人の法的権利を剥奪する工作をしたことを批判し続けます。
『戦後思想を考える』は1983年出版。83年はニューアカ・ブーム、84年埴谷・吉本論争、ここから日本の文化言説はポストモダニズムへと滑り落ちていく。
昔の人には、環境問題に熱心に取り組む人が多くいた。それは、公害問題の害が目に見えて酷かったからである。
様々な基準が生まれて、被害が抑えられていくと、人々は関心を失っていく。
新党さきがけは、環境問題を政策の柱の一つに掲げていた。さきがけから政治家になった中村敦夫は、さきがけがなくなったあともみどりの会議という政党で活動した。
Twitterって、IT知識がほぼゼロに近いユーザーでもサクサク使えるサービスだったと思うし、だからこそ日本でも社会インフラかっつうレベルで浸透したわけですよね。行政やら企業やらの公式アカウントも膨大にあり、自分の周りでも例えば、普段そんなにネットを使わない高齢者のユーザーも多かったりするし。そういう場がイーロン・マスクのこういう暴虐運営で今後管理されていくの、割とマジで怖いのじゃが
2023年7月27日
X(旧Twitter)のスクリーンネーム剥奪、日本ユーザーにも影響 “玉突き事故”で二次被害も
https://www.itmedia.co.jp/news/spv/2307/27/news177.html