ソロサーバーなのでアカウントのミュート・ブロックからサーバーごとのサイレンスまで、自分が差別から目を逸らす方法はいくらでもあるのですが、 #差別に反対します と声を上げますし、差別的な投稿は通報します。
読み聞かせボランティアの課題絵本を図書館で予約(オンラインでやれるのは楽でいいね!)。
課題図書はフランスの孤児院で暮らす女の子の話。
毎月行われる息子の小学校の読み聞かせは、学校が依頼して絵本の専門家に図書を選んでもらい、勉強会を行なって、学年ごとに決まった絵本を読む。
他人の読み聞かせを聞く勉強会はとてもタメになるし、専門家の先生の講評は当然ながら的確だ。ボランティアに男性が僕一人しかいないので、男性が読むとこう変わる、を毎回強調されるんだけどね。
しかし本当に勉強になる。
先日妻が読んだエズラ・ジャック・キースの『ピーターのいす』は、妻の練習にも付き合ったんだけど、あの絵本、地の文で主人公の「気持ち」を一切書いていないんだよね。ものすごくよく書けている本だけど、それだけに、共感性の低い子供には届きにくい。
大人向けの小説はこのハードルをクリアした「エリート」のために書かれてるんだよな。
SNSについて何となく思うこと
SNSの仕組みと距離感の話。
SNSの仕組みと距離感の話、と話し出しましたが、何かまとまったアイディアがあるわけではなくて、思いつくまま話しています。
今は朝の散歩の最中なので、すべて音声入力をしています。なので、ところどころ誤字脱字があったり、誤変換があったりするかもしれませんがご了承ください。
Twitterの運営がいろいろゴタゴタしているみたいなのでマストドンを再開して、昨年末位からSNSをいろいろ試しています。
SNSと言っていいのかどうか分かりませんが、discordも以前から使っています。といっても、それほど熱心に何かのコミュニティーに参加しているわけではありません。あちこちのぞいている感覚ですね。
素朴な感覚としては、どのようなSNSを使うかよりは、どのような人がそこに集っているかの方がはるかに大きなことのように思います。当たり前と言えば当たり前ですね。
タイムラインを適切に整えてミュートを駆使すれば、私個人的には、Twitterでも特に不便も不愉快なこともありませんし、もちろんマストドンでも同様です。discordの場合には、自分のタイムラインというわけではないので、ちょっと趣は違いますけれど。
気心の知れた人、というと大げさですけれど、「この人は大体こういう話題を話すだろうな」という予想がそれなりにつく人がいて、その人の話をまったりと聞いたり(書いたものを読んだりという意味です)、何か思うことがあったら、気楽にリプライできるような環境があれば、私は楽しく過ごせるように思います。
不特定多数の人が見ているSNS上で、かなり真剣な議論をするのは難しいものだと思います。建設的な議論のためには、お互いの信頼関係が必要ですし、ときには「これはどうなんだろうな」と中途半端な思いを抱きつつも、相手に提示するケースだってありそうだからです。そういうことができるのは、相手が自分の発言を悪意を持って受け取らない安心感があるからですね。
不特定多数の人、特にバックグラウンドや前提条件が大きく異なる人が見ている中で、そのような突っ込んだ議論をするのはとても難しいことだと思います。
朝の散歩しながら、SNSについてなんとなく思っていることを話しました。特に結論めいたことがあるわけではありません。
枝葉どうしは仲が悪い
動植物の生態についての知見を人間に当て嵌めて何らかの教訓を語ろうとするのは端的にダサい臭い頭悪い所行だと思う。
で、「枝葉どうしは仲が悪い」だ。
これだけで9割方言いたいことを尽くしているので、哲平さんならここで終る所ですね。「そやな」と思った人は続きを読まなくてよろしい。
草刈をするでしょう? あるいは、繁茂しすぎた雑木を伐って農地周辺の土地を整備するでしょう?あなたはしないか。私はするのです。
草を刈って倒すと、見た目の容積が10分の1ぐらいに小さくなるんです。伐った木の枝を整理するために小切りにする場合も似たような感じで。
生きている時の植物は、枝や葉をいろんな方向に伸ばして、なるべく多くの太陽光を受けようとする。まるでお互いに大嫌いだとでも言うように、お互いの距離を取るように枝分かれしていく。だから、ちょっと見には大きな場所を占有しているように見える植物でも、刈り倒したり、V字に分かれている所で枝を切ったりして、小切れにしてやると、驚くほど嵩が小さくなる。
うん、それで?
いや、だから、それだけです。
こうした話題に対して危険厨と笑う人もいるだろうけど「子どもだけでも海外に」という発想すらも、なぜあなたも逃げる算段で準備をしないのかと思う。多分ふわっとしか考えていない。あなたが残ればあなたが子どもの枷になる可能性もあるんですよ、という話なので。
実際に以前取材したイラク革命の時にパキスタンの難民キャンプからカナダに亡命した方は、残った父親の投獄と軟禁が解かれた後に家族でオーストラリアに逃げて両親とは14年後に再会していました。有事ってそういうことなんです。
山の中の集落、岩座神(いさりがみ)に住む面倒くさい爺さん。
プログラミングと社内PC環境の保守を糊口の資としてきたが、引退してゆるゆると野良仕事三昧中。
本拠は @kotobaphil-mtd.eu に移しました。