汗だくなのでハードテクノをチョイス
暑い日にカプサイシン盛り盛り料理かっ食らう的な
けど貼るのはなぜかヒロコ
なんでDANZIGのTee着とるんだ
https://www.youtube.com/watch?si=OIXyJmQuiphCH3_E&v=pI2d0Wrg0to&feature=youtu.be
BT
以前ここに書いたけど、順番以外での名詞や副詞としての"一番(/いちばん)"をかなり多くの人が"1番"と記述しているのをよく見かける。
「1番バッター」「抽選の順番は1番目」などはアラビア数字でいいけれど、「一番好きなお菓子」など「最も」と書きたいときは漢数字もしくはひらがなに開くのが日本語として正しい。
なぜそうなるのかについては、日本語を書く際の表記へのこだわりがあまりないから、横書きだからアラビア数字というルールが頭にこびりついているからなど色々あるだろうが、今の状況を考えると、変換候補の最初の方に出てくるから、が最もしっくりくる。
以前のトゥートでは「そのうちこの”1番”という表記もスタンダード化(つまり日本語化)するかも知れない」と書いたのだった。
つまりこれもIME が日本語をまさに今変容させていることのひとつといえると思う。
ゴダイゴの『モンキーマジック』は「アチャー!」があってほしい派です。Beastie Boys の”Fight For Your Right”に「イエーイ!」があってほしいのと同様に。
https://open.spotify.com/intl-ja/track/7s3LhJkILCiutrxQE929Jg?si=81c2f48a56a749ff
糊口をしのぐためだけにと割り切ってやってる仕事に対して日々のバイタルやエナジーのリソース多めに割いたりすんのやめなきゃな。遊びが追いつかねえや。仕事なんざ搾りかす程度でいいだろ、もう。
https://www.youtube.com/watch?v=aY6XKqcbG18
え?再びこれを見れるなんて思ってもみなかった
トランプへの嫌気のあまりハリスさん素敵最高待ってました!とか言っちゃうのを見てると気楽でいいよなーと思う。
トランプが嫌だからハリスを支持する。けれどこいつはこいつでさあ…という懊悩ならばよく理解する。
ちょうど同じようなことが先の都知事選でもあったなと思った。
蓮舫さん素敵最高待ってました!なんてソーシャルメディアで口にしてた連中はお気楽でいいよなあと。
でも選挙って大衆迎合なものを絶対に排除できないからお気楽はお気楽である意味正しいのだ。
そんなトピックではなかったけれども、先週末に今回の都知事選について友人とあれこれ話す機会があった。
彼はフィジカリーに今回の選挙戦に参加し、彼の本来の支持がなんであれ、現職に対するカウンター候補であった蓮舫を支え、その中で手応えも感じたと言っていた。
それでもこういう負け方をするのかというある種の敗北感、そして結果が示してくる、いわば"喫緊の危機"を言葉にしていた。
そこで思ったこと。
日本国民は馬鹿だとか愚かしいとか言ってるだけの人間がどれだけ当事者意識の欠けたところで高みの見物をしてるに過ぎないかということだ。
なにかを「変える」にどうすべきかは、識者でも知識の豊富な人でも物見遊山的な間抜けた反省会とかやってる奴らじゃない。真に敗北感を味わった者から聞け。
ダニーボイルもそうだしデヴィッドリンチもそうだしあいつもこいつもそうだ。曲選びの上手い監督は映画監督として優秀だと思う。というか、音楽を重視しない映画監督に名監督なし、かな。
“Cinema is sound and picture both – 50/50 really,” Lynch says.
こんなこと言ってる自分が最終的に行き着くところはきっと俳句か短歌なのだろうな。
スローハンド━━手数、すなわち音符の数が多過ぎて逆に手が動いていないように見えたとの逸話から━━と言われたクラプトンが、ある年齢に達してからというもの「いかに音符の数を減らせるか」がいいギタリストの条件と言い始めたのは、クラプトンだからこその慧眼というよりはクラプトンであっても「世の習い」はあるのだということ。
てか表現全般に当てはまることだと思って生きてます。
ある程度の年齢より上の層にとってサザンオールスターズとは、という概念や状況やイメージを、できるだけユニバーサルになるように意識したうえで表現してみようと試みる遊びが楽しかった。
そのとき優勝したのがこちら。
「クーラーの効かない車の中」
いいよねこれ。
クーラーの効かない、ってとこだけでイメージはさまざまに浮かぶ。社用車の人もいれば、自分の車かも知れない。
歳をとって経済的に余裕ができるようになれば、効かないクーラーを修理して、あるいは車を乗り換えてそれを解消している可能性がある。だけど、それも叶わない状況がそこにはある。なんとなく”若かりし頃”を想像しやすい。もちろんそうじゃなくてもいい。
というか、クーラーというだけで季節は夏、しかも効かないってんだから、相当に暑い日であることも想像できる。
それでもその車に乗らざるを得なくて、いや、車に乗ってるんだから、どこかへの移動が今から行われようとしているのだろう。はたまその最中か、あるいは今移動をまさに終えたところかも知れない。
で、そこに流れているのがサザンオールスターズなのだ。
流れているのはカセットテープなのか、カーラジオなのか。もしかしたら音源じゃなくて、その人の鼻歌や、あるいは脳内にってこともあるだろう。
言葉にはこういう楽しさがあるのだ。
NxYxHxCから民謡まで / 猿酒からアブサンまで / 鈴木則文からセルゲイ・パラジャーノフまで / アレクセイ・イワーノヴィチから鈴原冬二(not 鈴原トウジ)まで / 曾我蕭白から加山又造まで