母を病院へ連れて行くときの車中のこと。カーオーディオから流れる音楽に耳が止まり、トピックだった会話を遮って母がこう言った。
「あれ?この子すごくいいね。かっこいい声。誰?」
流れていたのはブリングミーザホライズンだった。
思えば小学生の僕に洋楽を仕込んだのはこの人だったな、と微笑ましくなった。
歌謡曲や日本のロックに夢中になっていた僕に、さりげなくビートルズを教え、それに夢中になると今度はストーンズを、次にドアーズを提案してきたのだ。
それらを10代で夢中になった母にとっては、改めて聴き直したくなり、それを息子としたかったのかもしれない。もっと単純に自分が良いと思ったものを誰かに薦めたくて、で、それがたまたま息子だったのかもしれない。もしかしたらその順番も入門編、初級編などと順序立てていたかもと今なら思う。
ともかく、そうした基礎教育笑を受けた僕は中学になると、彼女の全く意図しないものをどんどんと吸収していくことになるのだけど、それも面白がって一緒に聞かせてくれというような人だった。
ばあちゃんになったけど、ええ耳しとるやん。オリヴァーサイクスの声は間違いなく、特別な何かを備えた声だから。
What You Need
https://www.youtube.com/watch?v=yz4SU7pEHxA
@mario_tauchi たしかに母は60年代をティーンエイジャーとして正統に吸収した人だったと思います。
でも僕であっても、まりおさんであっても、親が親になる以前の時代での親の経験や体験を抜きにして、我々の人格形成や価値観の醸成は成されないのですよね。そこは実に興味深いことだと思います。
@mario_tauchi そうなんですよね。
それはきっと、彼らが僕たちに決して何かを押し付けてくるような人たちじゃなかった、ということの証しじゃないのかな。そう思います。
@sinovski 「親が親になる以前の時代での親の経験や体験を抜きにして、我々の人格形成や価値観の醸成は成されない」…ほんとその通りなんですよね。しかしそれぞれの「親になる以前の」物語はなかなか明かされることがなく、親たちが経てきた音楽やら本やらをヒントに想像するしかないことが多い。何十年も経ってから「そうだったのか(だからあんなことを言っていたのか)!」とか気付かされることも少なくないです。