@YoWatShiina わたしのほうこそ、たいへん長い時間お返事を寝かせてしまいすみません!普段からお友達とのメールなども3日後に返したりするタイプなので、「そんな、全然です、気にしないでください…!」とお返事しようと思っていたら、お前こそが気にしなさいよという事態になってしまってました。。
「それぞれの人に数えきれない複数の体験がある」というのは、おっしゃる通りで本当にそうです。
貧困も、理不尽も、おもしろさも、キャスト同士の繋がり方も、傷つけられ方も、すべてが複雑で多様で、途方もないです。
それに対して外部の人の想像はものすごく狭くて、もう、驚くほど圧倒的に狭いです。まったく仕方のないことだとも思います。でたらめな創作物がやたら多かったりしますしね。
それでも外部の方々に想像力を放棄してしまわれると、助かるべき人(わたし自身もまた、もっと助かるべきだった場面は多々あったと思いつつ…)が助かりませんから、嫌な思いをしながらも発信する当事者が何年もかけて増えたこと自体は、心強いことです。
これは完全にインターネットのおかげだといえると思います。
@YoWatShiina そしてまたおっしゃる通り、これがすべてではないのですよ!というのはいつも最重要で、気をつけていないとと思います。
自分の経験を語ろうとするとき、つい、「わたし個人は〜」「これはわたしの場合で〜」などと、書き過ぎるほど書いてしまいます、とにかく怖いので。よく噛まずに飲み込んで「フーゾク嬢ってそうなんだーへぇー!」と思われるのはすごく怖い。その結果「私が私がって自己顕示欲半端ねえw」と陰で笑われたりもしますが(笑)、まあ、そのくらいでちょうどいいのかなって感じです(それほどしつこく書いても、ダメなときはからっきしダメです。できれば、聞く側があと少しだけでも「どの人のどのような体験も、それが世界のすべてではない」と心に留め置いていてくれたらいいのにな〜、と思ってしまうこともあります)。
ただ、この「とにかく聞いてもらうこと」ばかりをくり返していると、いずれ「当事者対聞き手」が「コンテンツ対消費者」になってしまうのかな、という怖さもあります。面白い/深い/考えさせられる/興味深い ストーリーばかりを求められているな、と感じることも、しばしばあるので。
@YoWatShiina さて、今回わたしが渡邉さんに最もわかってもらいたいと願うことはなんだろう、と考えると、
セックスワークイズワーク、というのは、本来常に抵抗の言葉であったはずだったんです
というところかなと思います。
それはエッチが好きなんだろならやらせろよ、と迫ってくる客や、あなたにも落ち度がありますよ、と嘯く警察や、性風俗店で働く女性の性被害はたとえ命を失っても「一般婦女子」とはその意味が異なる、として出された不平等な判決に向かって、投げつけた言葉であったはずでした(最後のは相当大きいものだと思ってます)。「うるせーこっちは仕事でやってんだよ!」と立てた中指であったはずでした。
それがいつからか(3〜4年前でしょうか?ちょっとはっきりしません)、「風俗も立派な仕事なんだから文句を言わずやれ」のような違った意味合いで使う人が出てきておかしいことになり始め(理想を言えばこの段階でしっかり食い止められればよかったのでしょうが、しかし無理でした)、「セックスワークイズワークとはけしからん、ハローワークで勧めていいと言うのか」などと飛躍し、ついにはこの言葉を使う当事者が「加害者側の人間」と呼ばれて蔑まれることになってしまっています。
@YoWatShiina 渡邉さんにここで丁寧なメッセージをいただけたのは、うれしいことでした。それは現在のわたしにとって(たぶん誰かが想像するよりもずっと)なかなか得る機会がない、珍しいことだからです。喧嘩腰かつ言い捨てるかのような言葉が送られてくることもあり、疲れていたので。
うれしいからといってこんなに長文を送っていいものかと少々迷いますが、以前わたしの長っげえブログ(コロナが始まってわりとすぐの頃の、風俗で働こうか悩んでいる人を想定したもの)をシェアしてくださっていたことを思い出し、あれを読んでいただけたのだから大丈夫……ということにしてしまいました。
(あれも、今だったら書くかどうか……書けないような気がします)
もしまたわたしが何かを書き記そうとするときがあれば(本当はありたいのです、もっとちゃんと)、話半分に気軽に、読んでもらえたらうれしいです。