社会的役割の「頂点」が天皇だ(だった)という見解は、近代日本についてしか当てはまらない。少なくとも古代を脱した前近代伝統社会ではそんなことはなかったものと断定できる。大政委任論のような特定の史観を信じすぎであろう。
現代世界について「地球規模での戦国乱世」と評価しているアカデミシャンをみかけた。
近世社会のことを理解できていない近代史家は未だに多く、唖然とさせられる投稿に接することもまた多い(一方で、私が近代史の機微に通じていない、ということもまた大いにありそうではあるのだが)。
小説の登場人物が福島県内でシャブリを開けて飲んでいようが特段なんとも思わないが、東京ステーションホテルにて江藤淳を前にシャブリをオーダーする蓮實重彦については、一読した当時ムムとはなった。https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000327564
https://rissho.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=10401&file_id=20&file_no=1 この論考、どうにも論旨全体の整合性が私にはよく判らない。「回顧と展望」で取り上げられていないようにも思うが、どうか。東アジアは特殊な地域で、自由貿易帝国主義論を適用できないと述べられるのだが、そうか? 小風秀雅「不平等条約体制の再検討 ―成立から強化へ―」(2020)