近藤先生が旧枢軸国を比較せよと仰っておられる。まあ19世紀段階はいいとしても、20世紀まで延長したらそうなってしまうはず。
https://twitter.com/nekonoizumi/status/1635290025654128646?s=12&t=CIfOA3K9uFAkIdRcurcL_w
はて。「一般認識」などというものが果たしてあったのだろうか。
ウェイン・ショーターが他界。しかしSGI会員だったわけだし、その宣伝本まで出ていた訳で複雑な心情である。 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784620321349
https://twitter.com/accentdeverite/status/1621344744722022400?s=12&t=lAcDMp_9Wctu-SUepESQcQ 酒井直樹やストーラーなどを読み耽るとこうなる、ってところだろうか。
何といったものか、藤原帰一を高く評価したい向きというのが存在しているのであろうか、あるいは。
トロント大学教授Arthur Ripsteinの著書『カントと戦争法』(OUP, 2021)に目を通していたら、冒頭に置かれた両親への献辞で「難民でスパイだったエレンに」と記されてあり、はてこれはと検索してみると、つぎの追悼記事がみつかった。WW2の戦中アムステルダムにいた、ヴィースバーデン生まれのジューイッシュだという。戦後にウィニペグへ移住し、株式仲買に従事し結婚。https://www.theglobeandmail.com/life/facts-and-arguments/lives-lived-ellen-ripstein-90/article14265782/
維新=近代化=革命(!)という立場を堅持する側からみるとなると、中央集権・統一国家制度を確立する前の旧体制は分権的な複合国家なのに違いない、そうでなければ維新期の変革性を見出せないはず、という論理建てというか立て付けになっているのではないか、と思い当たった。しかしトクヴィル的にいってみれば「旧体制」との連続性というものも日本の国家には存在したのであって、それが集権的封建制というものであったのではないかと私などは考える(天皇のほうは大きく改変されているので、多少なりとも違う)。近代化要因を社会のほうに求める視角はすでにありふれているが(それでよいとは思わないが)、国家そのものにも維新変革の内在的原因は、あると言ってよいのではないだろうか。