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近代化論者が旧講座派系の撲滅に勤しんだ結果として、A・メイヤーが欧州史で述べていたような「旧体制の残存」といった事柄は、ほぼ思考不能という状態に陥ったかのようにみえる。しかし、近代日本においては、どうしたって「封建遺制」的なものの残存を全否定することなど、およそ不可能であろう。それこそ、自明な事柄に属すかと思われる。

近藤先生が旧枢軸国を比較せよと仰っておられる。まあ19世紀段階はいいとしても、20世紀まで延長したらそうなってしまうはず。

漠たるイメージ共有は、百歩譲っていうなら歴史実践ではあるかもしれないが、「認識」とは言わぬ。

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それこそ階級的にみればどうなんだという話ではあったが。サントリー学芸賞に期待をかけ続ける井野瀬さんもいわば同根かと。

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サントリー文化財団の応募に二百人以上アプライしたって話をいま聞いたが、それでどうなるものでもなかろう。

欲望を諦めないことはやっぱり大事。

ウェイン・ショーターが他界。しかしSGI会員だったわけだし、その宣伝本まで出ていた訳で複雑な心情である。 kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784

邦訳レーニン全集でいうところの「外延的発展」、これいかに。一見、現代日本語の辞書的な意味とは照応していない、いわば誤用的な訳語かとも思われるのだが、従来学界でもそれなりに流通していたようである。

紀州藩は18世紀以降、将軍権力の出身家系なので、吉宗の治世以後は、いわば「紀州王朝」の身内として長らく処遇されています。将軍権力にとっては最も近しい家柄。

何といったものか、藤原帰一を高く評価したい向きというのが存在しているのであろうか、あるいは。

トロント大学教授Arthur Ripsteinの著書『カントと戦争法』(OUP, 2021)に目を通していたら、冒頭に置かれた両親への献辞で「難民でスパイだったエレンに」と記されてあり、はてこれはと検索してみると、つぎの追悼記事がみつかった。WW2の戦中アムステルダムにいた、ヴィースバーデン生まれのジューイッシュだという。戦後にウィニペグへ移住し、株式仲買に従事し結婚。theglobeandmail.com/life/facts

運営組織の根幹にかかわることがらについてちっとも進捗できない。本末転倒も甚だしい

維新=近代化=革命(!)という立場を堅持する側からみるとなると、中央集権・統一国家制度を確立する前の旧体制は分権的な複合国家なのに違いない、そうでなければ維新期の変革性を見出せないはず、という論理建てというか立て付けになっているのではないか、と思い当たった。しかしトクヴィル的にいってみれば「旧体制」との連続性というものも日本の国家には存在したのであって、それが集権的封建制というものであったのではないかと私などは考える(天皇のほうは大きく改変されているので、多少なりとも違う)。近代化要因を社会のほうに求める視角はすでにありふれているが(それでよいとは思わないが)、国家そのものにも維新変革の内在的原因は、あると言ってよいのではないだろうか。

ふつうの事務的な会議をやるとするならば、討議で参加者が一人十分以上しゃべるのを禁止すべきじゃないのか。

歴史学会の大会で、英語帝国主義の問題性をとりあげないものかな。

「グローバル化」でがんばってきたからグローバルヒストリーが地域史に対してより優越する、という観点というのはいったい何なのだろう。皆目わけがわからないのだが。

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