先日、柄谷行人さんの「世界史」ものに関して、まずは中国史の捉え方があまりにも「古色蒼然」としている、として内藤湖南、宮崎市定、それに岸本美緒さんの名前を上げました。
ところが、昨日大学の知り合いの研究室で『歴史学研究』の最新号を貰ったら、なんと「歴研創立90周年を迎えて」という「リレー討論」で岸本さんが一文を寄せていた。
これは戦後の歴史学内部の中国史の区分論争に関わることで、専門以外の人にはやや細かく感じられるかもしれない。
ただ、内容とは別に気になったのは、岸本さんが引用していた歴史学者の比喩。「歴研創設以来継承されるDNA」とある。
これは残念。直近の投稿で私はDNA言説と新自由主義の共犯関係について論じたところだった。
新自由主義問題とは別に歴史学(考古学は別として)は「DNA」という概念を使うべきではないと思う。
何と言っても「歴史」時代はせいぜい1万年スケールであって、この間「ヒト」のDNAは変異していない、と見做してよい。
であるから、歴史はDNA概念抜きで「叙述」できるし、すべき。
勿論、縄文人と現在の日本列島の住人が全く別の「グループ」であることを遺伝子解析が明らかにし、「縄文文化」と「ヤマト」という駄法螺を無効にする、という善用もあるが。
@yoshiomiyake 岸本さんが歴研でつとめられたのは編集長です。委員長はなさっておられません。