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面白かったです
コメント欄にもありましたが、モンティ・パイソンの「哲学者サッカー」を思い出しました。
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幻さん(@tarafuku90)とコラボさせていただきました。
視力のグッズを、幻さんのイラストで作成いたしました。
フワフワとした不思議で優しい世界観を、ぜひご堪能下さいませ。

suzuri.jp/shi_ryoku/omoide/164

視力 さんがブースト

いとととさん、とコラボさせていただきました。
視力のグッズを、いとととさんのイラストで作成いたしました。
シュールかつキュートな、いとととワールドを、ぜひご堪能下さい。

suzuri.jp/shi_ryoku/omoide/156

視力 さんがブースト

SUZURI 始めました。
視力のグッズを作ってみたので、もしよかったらご覧いただけると嬉しいです。
suzuri.jp/shi_ryoku

どちらも
いわゆる「信者」的なものの体型理解と、

そしてそれに対するやんわりとした距離的確保(自分は「信者ではない」といううっすらとした表明)

みたいなものを含めて全体像として概念化しているような気がします。

陰謀論者は「陰謀論w」を含み
推し活は「アンチ的な感覚」を含み

そういった二律背反性を常に発生させながら成り立っている概念。
このマッチポンプ的な仕組みは、個人の自我範囲というこんなに狭い領域で稼働させるには、いささか心拍数が高すぎるような気がします。

カリスマという存在はかつてのように簡単には生まれにくくなっているのかもしれません。
もしくは、小さいカリスマがめちゃくちゃいろんな所で数えきれない程生まれているのかもしれません。

個人的には、時間経過と共にそれらは揺り戻しもありながら変化してゆくのだと思っているのですが、そうであるのならばその時「宗教」という概念はどういうポジションになっているのでしょうか?

宗教は科学と元は同じ領域のものです。
神の存在を鼻で笑いながらも、宇宙の存在を疑っていない人は多いと思います。

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「推し」という言葉もそうで
こちらはもう少し概念として俯瞰的主観が強いので若干ややこしいと思うのですが、これは要は"「推し活」的なものの肯定"を指している共有言語なのだと思います。

"推し(活)"を推している

という認識。

それを「ファン」という概念でのみ捉えるのなら、そういった人々や感情は昔からあったわけで。この言葉が台頭してきた理由は、ファン心理、ファン行為の内面化、前提化によってムーブメントを生んでいるからだと感じます。

先程の「陰謀論者w」的な共同幻想に当てはめるなら、推し活への疑問(推し活を推さない)を提示する事自体が構造的に「盲目的なファン」を虚像として作り上げている事になる、という感じでしょうか。

推し活へのアンチ

みたいな不思議な日本語が生まれてしまうかのような、これもまた漠然としたイメージの産物。
熱狂的ファンと呼ばれるようなシンボリックアイコンはメディアを通すと存在の面白さで波及しやすいのだと思いますが、本人たちの本当の心理は確認しようがありません。めちゃくちゃ冷めてるからこそ、目立った行動が出来るという可能性もあります。
自覚的なファンはモノマネ芸人的な自我に近くなってゆくのだと感じます。分離してるからこそ伝染によって情報流動は発生します。

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「推し」「陰謀論」がそういった宗教性を軸に分析的な切り口で提示されている時に、なんというかそれ自体に対する"共同幻想性"を強く覚えます。

たぶん「陰謀論」の方がそれが分かりやすいのですが、よくSNSで見る「陰謀論者」「ネトウヨ」「フェミニスト」的な言葉は、実際にそれに該当するのような当事者意識を含めても、ある種のネットミーム化が側面として際立っている感触があります。

いわば「陰謀論者」という概念を我々は集団的共有をしていて、その虚像は実像よりも存在感を放ってしまっている状態。それって、むしろ構造としては誰よりも陰謀論信者っぽい。

「陰謀論者w」って認識で画面の向こうと対話しちゃってる。本当は陰謀論者じゃないかもしれないのに。暇潰しで陰謀論を撒き散らしてる小学生かもしれないのに。

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「推し」や「陰謀論」的な概念の宗教性

が社会学的に批評として語られているのをよく目にするのですが、

これは"「宗教」という概念の個別化、民営化"

の話だと感じています。

視力 さんがブースト

X、ユーザーを内部に留まらせる環境設定が結局どんどん進行している。SNSとしてのシステムそのものがユーザーの思考の在り方自体を規定してくる度合いが、ますます上がっている。

初期の頃の
かたまりさんの、もぐらさんイジりを見てると、

ふかわりょうさんが5時に夢中で、マツコ・デラックスさんに怒鳴られていた光景を思い出したりします。

ふかわさんもまた、慶応出身の実家太め芸人で、
マツコさんは新宿二丁目界隈を経由していて若い頃お金に困ってたエピソードを持っているタレントさんです。

よくあった展開として、ふかわさんが悪気は無いのだろうけど、視聴者にある程度リテラシーを求めるようなシニカルな笑いを提示した時に、マツコさんがマイノリティ代表的なスタンスである角度でのふかわさんの無知部分を糾弾してゆく様子がバラエティショーとして立脚していました。

空気階段の踊り場での、
もぐらさんが返し刀でかたまりさんをイジり返す展開は、そういった抑圧から生まれる群集心理的なダイナミズムをかなりはらんでいると感じます。

もぐらご祝儀裁判のアフタートークで逆転されて論破されたかたまりさんが最後謝ってしまうその瞬間に、

能力主義層の無自覚なブルーカラー差別

のようなものをお笑いに転換させた美しき醜さが水川かたまりの可愛げとして輝きを放っていたと感じました

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加えて、そこに空気階段というコンビのお互いのバックボーンが絶妙な捻れを生みながら不思議な格差性を育んでいるために、"イジるイジられる"というお笑いのフォーメーションの変容にコント的なストーリー性が発生しているんだと思います。

かたまりさんが、挙動不審リアクション芸を自覚的に使いこなせるだけだと、それこそアンガールズ田中さんのようにある領域でのピン芸人化という現象のみに留まるのだと思いますが、

もぐらさんは山根さんと違って、
典型的な"いじられしろ"を提示しているのです。

しかもそれが、
「借金」や「恋愛」というトピック。

これらの要素って空気階段の二人だけの要素に留まらずその価値基準そのものが時間や地域によってかなり乱高下する代物なのだと思います。

かたまりさんは、初期段階で相方としてキツめにそれらをイジる設定を施していたと思うのですが、

それは同時にもぐらさんだけをイジる状態だけでなく、似た境遇や背景をもイジっている状態に突入してしまっている。
で、たぶんそこに関しては、実家太め地方出身慶応中退ひきこもりというプロフィールが絶妙な割合で関与している天然感だと思う。
あと年代的な中心的視聴者支持層。

もぐらさん的な芸人の方が昔は多かった

という雰囲気的認識が空洞化してる。

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こういった、"ピンポイントで常にそういう人をずっと演じている"的なコント芸人さんって、ドS的な性格としてのバナナマン設楽さん、過剰さに歯止めが効かなくなる人としての劇団ひとりさん、凡庸さと狂気性を綯交ぜにしたヤバい人物像としてのキングオブコメディ高橋さん、とかもそうだと思うのですが、かたまりさんのそれはもっと内省的な部分でソリッドな感触があります。

なんか、抜きん出たリアリティが面白さの中にかなり成分として確認出来ると言いますか…

対比として、
もぐらさんはデフォルメの上手さによる演技力(ダメなおじさんのモノマネが異常に上手い)

なのだけど、
かたまりさんは自己内省の発露のパッケージングの上手さによる演技力
(完成しきってない状態をある程度毎回同じで出せる能力、ヘタウマ的な演技力)

これは、アンガールズ田中さんのリアクション芸とかと非常に近いと思います

水川かたまりという芸人は、その亜種

コントにもその不完全挙動を持ち込める上で、ラジオなどの密室的領域でそれをフルスロットルで発動させて笑いに転換させるという、かなり狭い範囲での専門リアクション芸人と化している面白いバランスタイプだと感じています。

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なんか空気階段のコントを見てると、
ボケツッコミの役割を固定させておらず、もぐらさんが「ダメなおじさん」的なキャラクターを演じている時は、かたまりさんはそれにうろたえる青年としてツッコミ役に終始している事が多いと思うのですが、

もぐらさんが常識人の立場の時のネタは、
かたまりさんはサイコキャラや理不尽な女性などのボケ側に違和感なくスイッチングしてみせます。

この時、かたまりさんの"しっくりき具合"には目を見張るものがあると感じています。

もぐらさんのキャラに幅のある演技力によって、見過ごされがちだと思いますが、かたまりさんのクセのあるキャラの体得具合もなかなかに凄いと思う。
むしろかたまりさんは"普通の人"の役でも"普通に見えない"

この感じを身体性に落とし込めているコント師ってあんまりいないと思います。

(例えば、春とヒコーキの土岡さんとか素の口調や挙動が元ひきこもりニートとして、かなりかたまりさんと近いと感じるのですが、かたまりさんのようにそれを使いこなせて笑いにしてはいない。かたまりさんの「サイコゥ!サイコゥ!サイコゥ!」というギャグは突発性的な衝動含めて自分の物として駆使できてる)

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初期の頃の踊り場での、かたまりさんの口調や雰囲気は正直今よりもイジワル感があったと聞いてて思います。

ただ、その上で
それはそれでなんだか聞いてて妙な心地よさもあって、この世界観の延長戦での踊り場も全然成立していたんじゃないかな…とちょっとだけ想像したりできます。

スタンダードなコンビバランス、
深夜ラジオのベターなコンセプト、

とかで捉えると空気階段はクズキャラとネタ書いている方、という組み合わせで表面的には固定されたイメージ通りのお笑いパターンを展開させようとしていて、それがかたまりさんのイジワル感に繋がっていたのだと感じられます。

端的に言えば、
クズ(ポンコツ)芸人の模範的相方
として振る舞おうとしていたのだと思う。

でも、零れ出る人間味というか、もっと言ってしまえば"いじり芸の下手さ"が目立ってて単純にすぐメッキが剥がれて(あと、実はもぐらさんの方がキャラに反して"いじり芸"の才能が高かったというポイントも大分大きい)
今のフォーメーションになっていったという流れ

ただ、同時に少し覚えるのが
そういう構造だったとしても綺麗な切り替えだったなという舌触り。

水川かたまりは天然芸人でありながらも、
そのリアクションは"演出的"な人だなと感じます。

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今改めて聞くと

「仕送り1200万円」「実家の太いひきこもり」
というプロフィールのかたまりさんが、

「借金600万円」「複雑な家庭環境で学生時代から働いていた」
というプロフィールのもぐらさんを

クズ芸人としてイジるのは無理があると感じちゃうし、

「マザコン」「スピード離婚」
というプロフィールのかたまりさんが、

「父親が何人もいる」「30歳近くまで恋愛経験0」
というプロフィールのもぐらさんを

プライベート含めてネタにしてゆくのなら、返し刀で、お前はどうなんだ?と言われてしまうのは仕方なく思ってしまいます。

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空気階段の踊り場 過去回を聞けば聞くほど、
水川かたまりが鈴木もぐらのことを

「借金」や「恋愛」方向でダメなやつとして

イジっているのが伏線回収的で面白い。

視力 さんがブースト
視力 さんがブースト
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明日7/19(水) 22:00からは先週延期したラスアス2をはじめるよ!!!!!!!みんな遊びきてね

ドラマ版ラスアスを見た直後の配信者がおっかなびっくりTHE LAST OF US PART IIをやっていく #1 youtube.com/live/2rLVfZOdNIA?f @YouTubeより

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