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井口さんがハッカーなら
くるまさんはRTAプレイヤーって感じ

既存のゲーム(M-1)内で、別の競技(批評話芸)を作って独自に遊んでなおかつ普通にクリアもしてる状態

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ラリー遠田さんが去年のM-1評で

「ウエストランドはM-1自体やアナザーストーリーを弄ることで優勝しちゃってて、井口さんはシステムハックをしている」

みたいな事を言ってたと思うのですが、

くるまさんは、それをツッコミで笑いにするのではなく、分析とか批評自体をネタにそれを話芸に落とし込んで、その自身で編み出したプログラムでM-1に優勝しちゃったみたいな所業に感じます

M-1内で「よしもと批評」みたいなボケをしていたのがその最たる部分で、「批評話芸」が漫才の皮をかぶってるように思えました

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M-12023
令和ロマン優勝 カッコ良かったです

単純にマンパワー的な強さ、勢いを感じました
ロジカルでクレバーでテクニカルなキャラクターだけど、実は一番パワーでどうにかしてるというか(特にくるまさんが)

令和ロマンの漫才って、
くるまさんの喋りの能力の高さで構築されてる話芸によって、「漫才」に無理矢理建築している部分もある気がして

でもそれが凄く爆発力を生んでるのではと思いました

視力 さんがブースト

まつもto なかい に出た時のビートたけしが
麻原彰晃とトークしてる時のビートたけしに似てると思った
natalie.mu/owarai/news/551452

視力 さんがブースト

【新連載】
コメカとパンスの批評ユニット・TVODのウェブ新連載スタート。「負けること」について、ふたりの往復書簡の形で考えていきます。初回はぼくからです。

TVOD 「白旗を抱きしめて 〈敗北〉サブカル考」 第1回 「敗北」について──コメカより | 生きのびるブックス
ikinobirubooks.jp/series/tvod/

視力 さんがブースト

こちらで記事を書かせていただきました。松本人志監督映画について感じている事について。ぜひお読みいただきたいです。よろしくお願いいたします😊
【視力のお笑いシネマレンズ】第1回 松本人志監督作品の面白さ
movietoybox.com/archives/2023/

こちらで記事を書かせていただきました。北野武『首』公開記者会見を見て思った事を書きました。ぜひお読みいただきたいです。ご感想もお気軽によろしくお願いいたします。

【特集 北野/たけしの映画世界】北野武『首』公開 記者会見を見て
movietoybox.com/archives/2023/

youtu.be/UtmNy_WGE7M?si=WVXqpa

トニー谷さんのリズム芸の上手さと、高飛車でインテリ振る舞いをする毒舌芸は、オリエンタルラジオの中田さんを彷彿とさせると感じています

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視力 さんがブースト

北野武『首』、とりあえず 

北野武『首』。
映画としてどうかは置いといて、「ビートたけしファン」である自分には正直意外な出来、つまりとても良かった……。この数年ファンから幻滅され続けてきたたけしの晩年ムーブがフリになった、嗤いとニヒリズムの強烈なカウンターパンチ。もはや都市伝説と化した「たけしさんが飲み屋のお会計済ませてくれていて……」みたいな「美談」まで含め、残忍なギャグに転化される。芸人というロマンティシズムも映画という「権威」もすべて、「売れてねえくせによ!」という嘲笑で蹴り飛ばされる……のだが、そういう自分自身が最終的にきっちりフレームのなかに収められるという、何重にも冷静なニヒリズム。もうたけしはボケた!と誰もが思っていたのに、まだ振り子が止まってなかったんだ……という……。
しかしまあ過去作やたけし軍団、お笑いウルトラクイズやたけし城、戦メリばりの全画面笑顔などなど、キャリア総まくりの集大成で、大森南朋はそのまんま東に、浅野忠信は谷隼人に、中村獅童は島田紳助に見えてくる(笑)。「戦後日本のテレビ史」を知らない人にはどう観えるんだろう?

視力 さんがブースト

ビートたけしが浅草からテレビの世界に出てきて、今映画監督として大成しているのが、時代と主要メディア転換の流動に身を置こうとしたんじゃないかなぁ…という心情が感じられて良いなと思います。世代的な共有はしていないし、なんとなくの憶測で言葉にしているのですが。

もしかしたら、浅い視座に聞こえるかもしれないのですが、YouTuberが有名になってテレビに出ようとしてゆく運動に近いものを感じています。

かつての映画館の立ち位置は、
劇場舞台に対しての新規メディアだっただろうし、
その映画館も新規メディアとしてテレビが表れた時に旧態的な立ち位置に移行したのだろうし、
そして、そのテレビも新規メディアとしてのネットが表れた段階でゆっくりと立ち位置が世代交代を成されていったのだと、

ざっくりとそういう認識でいいんじゃないかなと思っています。

劇場(旧態)→テレビ(新規)→映画(中間領域)

みたいな着地点にビートたけしさんは狙って動いていたとも勝手ながら想像しちゃいます。

そういった天下人の現時点の生息地としての主要メディアを見てると面白いです。

松本人志がドキュメンタルをAmazonプライムでやってたり、

さまぁ~ずがYouTubeにけっこう力を入れてたり、

メディアとその中心時代性を感じます。

視力 さんがブースト

全共闘以降の破壊的な文化性を、後続世代として漠然と(本当にただ漠然と)内面化していたであろうダウンタウンは、反戦後民主主義的なセンスを90年代の「大衆/テレビ」回路のなかで積極的に展開し、そして彼らの在り方が当時の「サブカルコミュニティ/お笑いライブ」のシーンにおける理想像として、神格化された。大衆のアジールとしての寄席世界でもなく、戦後民主主義的お茶の間としてのテレビ世界でもなく、分節化されたサブカルコミュティの世界での、イデオロギーとしての笑い。

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視力 さんがブースト

「大衆/テレビ」の回路が専制的だった時期、笑芸は基本的にお茶の間に対応し得る内実、つまりアジールでの無礼講とは異なる、戦後民主主義的な価値観の範疇に収まるものでなければいけなかったはず。これが80年代に入ると、68年的なものと寄席的なものとを重ね合わせたような身体性を持つビートたけしによって、反戦後民主主義的な感覚が「大衆/テレビ」の回路のなかに持ち込まれる。で、そのプロセスも契機のひとつとして、「サブカルコミュニティ/お笑いライブ」みたいな回路も立ち上がってくる。

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視力 さんがブースト

「大衆/寄席」という回路が「大衆/テレビ」という大きな回路にスイッチし、更に1980年代後半ごろには、「サブカルコミュニティ/お笑いライブ」みたいな新しい小さな回路も成立し始める。

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視力 さんがブースト

少し前のものですが、
ゾフィーのPodcast岡野陽一ゲスト回が味わい深くて面白かったです。

前編後編に分かれてて、なおかつしくじり先生出演を経てからの放送なので、いりくんだ構造なのですが

現代テレビバラエティでの何周もした"クズキャラ芸人いじり"を提示されて、お笑いにおける「蔑みとは何か?」を考えさせられます

open.spotify.com/episode/4dpD8

視力 さんがブースト

ゾフィー『ZOBEST』観た。上田はゾフィーの名前を残すわけにはいかなかったのかなあ。バカリズムみたいに。

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