と同時に、
こういうツッコミ芸をおもしろいなぁ…
って眺めてながらも個人的に感じるのは、
"信仰心"や"倫理観"みたいなものが
出来上がってゆく朧気な過程的なものを漠然と覚えます。
なんというか、上岡さんや松尾さんとかはいわば"信念"みたいなものがどうしようもなくあって、それがバラエティ番組の中でも曲げる事が出来ない(ことをギリギリでショーにしてるんだと思う)別に本当のところでは正義感とかでやってるようなものでもないのだろうし、ツッコミをしてたらそうなっていってしまった…というある種の過剰さが人間味として商品になってるんじゃないかと。
ただ、それを見ていた人達に情報が波及してゆく過程で、そのコミュニケーション形式だけが時間経過と共に受け継がれてゆく
そうすると、なぜそれを批判していたのか?という部分が抜け落ちて「オカルト叩き」という快楽性だけが残ってしまう
有吉さんの世代がそれを受け継いでいるのだとしたら、そのパフォーマンスのマニュアル性だと感じます。
それはそれとして虚実のセーフティネット的な機能をあるのかもしれませんが、同時に「叩く」という行為の波及にもなってしまっているとも思う。(有吉さんはそこは敏感だと思いますが…あと島田秀平さんの受け身が綺麗すぎる)
ただ、この話はスピリチュアル側も"芸"でやってるという構図が大事なわけで、なので有吉さんや伊集院さん東野さんは領域を選んで行っているのだと思います。
このノリ自体が、もっと広い場所で参加人数も増えて大規模コンテンツでやっていきましょう!ってなってきたら、
それはもう
「占い師叩き」という新しいスピリチュアル
になってしまっている状態なんだと思います。