新しいものを表示

近くにドトールもあったけどそろそろどっか入ろうと思ったタイミングに通りがかったのはルノワールだったんだよ仕方ないね…

スレッドを表示

お茶一杯頼んで時間潰すつもりでふらっと入ったルノワール思いの外値段高くてしょんぼりしてる
こういう迂闊さ、よくある

表現それ自体というより表現とそれを生み出した人の属性に付いて回る構造を考えて慎重になるべきよねという話

スレッドを表示

「輝けるもの」一番Aメロのアイヌの人々を描いた詞の「土と共に生きる民」の部分について、いや土だけじゃなく海や川にもいただろというニュアンスの指摘(他の含意もあるかもしれない)を見て確かに、と思った
インタビューでも「美しい文化」と話してたけど、そもそも和人がそれ言うのどうなのと気になるところではあり…
異文化を知って美しい、素晴らしいと感じるのは別に普通にあることだと思う。知らないもの馴染みのないものが新鮮で良く見えるのはよくあること。
でもその「美しい文化」を奪ったのは和人なわけで、例え称賛であれ無邪気に言うことには躊躇いがある
じゃあそう感じた内心とはどう付き合っていいのかって話なんだけど、最適解はわからないけど少なくともそこの構造に自覚的、自省的であるべきという解になるのかなあ

最近色々なところで目にする植民地主義という言葉ぼやっとした認識しかないのでちゃんと学びたいね…

ACIDMAN本当に大好きなんだけど、視点が超然的というか自然目線で俯瞰・抽象化してる?のでそれが普遍的なメッセージになる反面で、特にこういう具体的な対象を詞に組み込んだ時には社会的政治的な生き物である自分と衝突する

今日開けた緑茶が緑茶というより烏龍茶の味でおいしいけどそういう気分ではない…としょんぼりした
茶葉選ぶ時説明読んでも味の違いわからないしまあ大体何でもうまいだろと思って適当に選ぶとたまにこういうのに当たる いやうまいんだけど、うまいんだけどね…

さっきのは「人のために」を憚らせてしまう抑圧があることは不健全という話だけど、それとは別の角度としてブックサンタの"子供の性癖を歪めよう"みたいなのは他人が主役の場に「自分が」「自分が」と大人げなく出しゃばるんじゃねえと思う

人のために動いたことを驕るべきではないけど卑下するのも違うよ〜

スレッドを表示

「(自分以外の特定の)人のため」のものを「人のため」のままにしておけず、「自分のため」あるいは「皆のため」に紐付けないと素直に支援したり肯定できないの何だかなぁと思う
誰かに向けた善意を「偽善かもしれないけど」とエクスキューズ入れないと言えない空気も閉口する

関ジャム前はちょこちょこ見てたけどランキング企画の選者やゲスト解説役が男性ばかりという指摘を見かけてから足が遠ざかっている
あとああいう番組で好きなアーティストが紹介されるのは嬉しい反面、(特にランキングなんかでは)業界の権威に選ばれるかどうかに一喜一憂するのも何か違うな…と思い直している 過度に有り難がるものではない
知らない曲やアーティストやジャンルに触れられるのは良いんだけど

作品の内容や作る側の発言にアウトな点があっても「映画楽しみ!でもこの点は一考の余地があるよね」が基本スタンスのファンダムならここまでモヤモヤせずに済むんだよなぁ 気持ちよく映画館音響で好きなバンドの曲聴きたいんですよ
ファンはファンのまま、作者や運営の"権威"からもっと自由になっていいし感想や批判などの形で交渉ができる立場のはずだ

茨木のり子に続けて金子みすゞと谷川俊太郎の詩集を読む
それぞれ違ったあじわい

「輝けるもの」というタイトル、何となく清廉で美しいもの、綺麗で強かでまっすぐに伸びる光を想像していたけどそれだけではなくて、欲深く泥臭く曲がりくねっていても生きる中で手を伸ばしてしまう、そういう衝動も含めての「輝けるもの」、命の輝き…

スレッドを表示

仕事は基本したくないけど今の会社でそれなりに、特に在宅になってから居心地良くやっていられるのやっぱ人との関わりが少ないっていうのがでかい

まあ在庫処分だろうし外で着るわけじゃないし壁に飾るのも最終的には雑巾にするのもありだし(酷い)…とひたすら合理化している 次はMサイズ買おうな

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。